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テーマ:城跡めぐり(1254)
カテゴリ:城跡と史跡(東京編)
三宝寺池が広がる都立石神井公園に石神井城の城跡があり、平安時代からこの地域で勢力を持っていた豊島氏の拠点でした。
三宝寺池 石神井川の水源でもあります。 三宝寺池から見た本丸跡 三宝寺池に架かる橋を渡ると、本丸の脇に城跡碑がひっそりと建っていました。 発掘調査に基づく縄張り図を見ると、土塁と空堀で囲まれた城郭だったことがわかります。 中世の武士館に近い感じでしょうか。 本丸周囲には土塁と空堀の跡がわずかに残っており、現在はフェンスで保護されて立入禁止となっていました。 本丸の土塁跡 本丸の空堀跡 ここまで残っているのは、奇跡的な気がします。 縄張り図からすると、この道路も空堀跡のように思います。 石神井城の築城時期は明らかではありませんが、平安時代末期より豊島氏の拠点となっていたようです。 石神井川沿いには豊島氏の城郭が多く並んでおり、豊島氏の勢力拡大は石神井川と深い関係にあったのかも知れません。 豊島泰経の時代の1477年には、長尾景春の乱に呼応して、豊島泰経も石神井城と練馬城で挙兵しました。 一方で長尾景春の乱を鎮圧するために出陣したのが太田道灌で、豊島泰経と太田道灌は「江古田原・沼袋の戦い」で激突、豊島泰経は石神井城に敗走しています。 太田道灌はなおも石神井城に攻め寄せたのですが、豊島泰経が味方の小机城に敗走したため、石神井城は落城しました。 (太田道灌はさらに小机城まで攻め寄せ、小机城も落城したため、ここで豊島氏は滅亡しています) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/01/19 10:28:06 PM
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