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テーマ:城跡めぐり(1254)
カテゴリ:城跡と史跡(東京編)
渋谷に行くのは久しぶりだったのですが、相変わらず人は多いものの、一時と比べれば随分と少ない気もしました。
(休日の昼間に行ったことがないので、こんなものかも知れませんが…) ところで「渋谷に城なんてあったのか?」って感じですが、渋谷駅東口を出て六本木通りを六本木方面に向かって行くと、少し高台になった場所に金王八幡宮があり、ここが渋谷氏の本拠地である渋谷城の跡です。 金王八幡宮遠景 青山通りと六本木通りの交差点にも「金王坂」の地名がありますが、金王の名称は渋谷金王丸に由来しています。 金王八幡宮社殿 社殿は徳川家光が三代将軍に決定した時、青山忠俊が春日局と共に、1612年に造営を開始したものです。 渋谷氏の時代は曲輪の跡だったかと思いますが、当時は方形の中世武士館が建っていたことでしょう。 神社の西側を渋谷川が流れ、当時としては相応に要害を形成していたのかも知れません。 現在の金王八幡宮の門も、1769年に創建されたとする説と、1801年に創建されたとする説の2通りがあるのですが、いずれにしても江戸時代から現存する建築物です。 金王八幡宮の門 今となっては見る影もありませんが、渋谷城そのものは戦国時代末期まで現存そしていた城郭です。 さらにビックリなことに、当時の砦の石垣石が残っていました。 これが残っているのも驚きですが、関東の城郭で戦国時代に石が使われていたのは、もっと驚きです。 渋谷城の築城時期は明らかではありませんが、少なくとも平安時代末期から渋谷氏の居館が置かれていたものと思われます。 源義家が御三年の戦い(1083~1087年)に勝利した後、「この勝利は(渋谷氏の祖である)河崎土佐守基家の信奉する八幡宮の加護なり」と、河崎氏(渋谷氏)の居館に八幡宮が創建されたと言いますから、渋谷城の歴史は相当古いものだと思われます。 渋谷氏の城主の中でも渋谷金王丸は、源頼朝VS源義経の争いの中で、頼朝方に付いて1185年に義経の館に討ち入りして最期を遂げました。 その源頼朝の勝利に貢献した渋谷金王丸の功績を偲び、頼朝が鎌倉から移植したとされる桜の木が、今も境内に残っています。 今も「金王桜」として、境内に残っていました。 源頼朝と親交が深く、鎌倉幕府の設立に貢献した渋谷金王丸、頼朝が送った桜の木もさることながら、ここには渋谷金王丸が自らの姿を彫刻した像も残っているようです。 その像が納められている「金王丸御影堂」 渋谷の地名の由来となった渋谷城ですが、さらに戦国時代の末期まで続いていたのは、驚き以外のなにものでもありません。 渋谷金王丸の活躍から300年以上も経った関東の戦国時代の最中、1524年に小田原北条氏の攻めにより、渋谷城は落城してしまいまいました。 戦国の関東で渋谷氏の名前は出てこないのですが、「よくそこまで残っていたもんだ…」って印象です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/01/19 10:30:07 PM
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