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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(東京編)
吉田松陰先生を祀る松陰神社と言えば、松下村塾のある山口県萩市が有名かと思いますが、世田谷の松陰神社も縁の深い場所です。
最寄駅は東急世田谷線の松陰神社前です。 松陰神社 境内にある松陰先生の像 参道入口の大山道(矢倉沢往還、現在の世田谷通り)沿いに建てられていた道標。 明治45年に同じ長州出身の乃木希典によって建てられたものです。 松下村塾 もちろん復元されたもので、実物は萩の松陰神社にあります。 1859年の安政の大獄で大老井伊直弼により死罪に処せられ、その亡骸は他の罪人と同じく、小塚原の回向院に無縁仏として埋葬されていました。 1863年に松下村塾の門下生であった高杉晋作・伊藤博文らが、その亡骸を改葬したのがこの場所です。 同じ安政の大獄で刑死した頼三樹三郎の墓碑や、明治維新をみることなくこの世を去った長州藩士の墓碑も並んでいます。 1866年の長州征伐の時、幕府軍によって墓所が破壊されましたが、1868年(明治元年)に木戸孝允(桂小五郎)によって修復されました。 高杉晋作率いる奇兵隊や大村益次郎の近代用兵を相手に、「長州征伐」とは聞いて呆れますが、修復の際には徳川氏によって、謝罪の意味を込めた灯篭が墓前に寄進されました。 吉田松陰先生の辞世にある二つの歌です。 「親思う こころにまさる 親心 今日の音ずれ 何と聞くらん」 「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」 松下村塾門下生たちは遺志をさらに深く心に刻んでいたことでしょう。 左から高杉晋作・吉田松陰・久坂玄瑞(道の駅「萩往還」にて) 山県有朋・木戸孝允・伊藤博文 品川弥二郎・山田顕義 関連の記事 回向院(東京・足立区)→こちら 松陰神社(山口・萩市)→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/01/19 10:27:19 PM
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