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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(台湾編)
台湾生活が始まってから最初の休日、出かけて行った先は台北101でも故宮博物館でもなく、台北市の西部にある台北城の城跡です。
台北城は清の時代に築かれたもので、南北に約1.3km、東西に約1kmの長方形の形になっていました。 横浜の中華街と同じように正確に東西南北を向いておらず、少し長方形が東西南北から傾いたような形状をしています。 このため台北城付近の道路も、東西南北に通っておらず、少し斜めに通るような格好になっています。 台北城は総石造りで四方を城壁で囲まれていたのですが、現在では城壁は残っておらず、東西南北にあった門だけが残っていました。 北門 正式には「承恩門」と呼ばれ、こちらが表玄関でした。 沖縄のグスクのようにアーチ型をしています。 東側の城壁があった場所は、現在中山南路の大通りに変わっていました。 台湾国旗である「青天白日」の旗が翻っていますが、沖縄そっくりの雰囲気でした。 東門(景福門) 南側の城壁跡には愛国西路が通っており、南門と小南門が置かれています。 MRT(地下鉄)に小南門線というのがあるのですが、これは台北城の小南門に由来しています。 南門(麗正門) 西側の城壁跡にはさらに広い中華路が通っており、MRTの板南線には「西門駅」もあるのですが、現在は西門は残っていませんでした。 西門跡 台北城は1882年に着工され、1884年に完成しました。 清朝最後の風水石城で、日本の台湾出兵に対する防衛拠点として、清朝の台北府が置かれたことから台北府城とも呼ばれています。 1895年の日清戦争で日本が勝利すると、台北城も日本の支配下となり、日本の台湾総督府が置かれました。 日本の総督府の庁舎は現在も残っており、中華民国の総督府として使われています。 日本の総督府は1895年から太平洋戦争終戦の1945年まで置かれていたのですが、歴代台湾総督には、桂太郎・乃木希典・児玉源太郎などがいました。 日本では第一級の歴史的建造物だとおもいます。 当然ながら建物の中に入ることはできなかったのですが、どうやら一般開放もされているようです。 「星期一」は月曜日で「星期五」は金曜日、要は平日の午前中に身分証明を持ってきて下さい、とのことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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