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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(台湾編)
台北車站(Taipei Main Station)からMRTで約40分、台北市の北側にある淡水河口付近の海岸線までやってきました。
この辺りは淡水と呼ばれ、観光地としても有名な場所です。 MRTの淡水駅を降りると、観光地らしく土産物店などがずらりと並んでいました。 こちらは陸側の道ですが、海岸線にもお店が並んでいました。 さすがに海鮮系の店も多く、イカの姿焼のお店などもあって、台北市内とはまた違った雰囲気です。 淡水河も河口付近に来ると川幅も広くなっており、観音山がある対岸までは観光船も走っていました。 台風が近づいているのであいにくの空模様でしたが、夕陽や夜景がきれいなため、デートスポットとしても有名な場所だそうです。 淡水駅から海岸線をさらに行き、小高い丘の上にあるのが紅毛城です。 紅毛城入口 あまりにわかりやすいと言えばわかりやすい名前ですが、その名の通りオランダ人によって築城された城です。 さすがに英語訳では「Fort San Domingo」となっていました。 紅毛城の歴史を見て行くと、淡水と台湾の複雑な歴史事情が見えてくるように思います。 元々淡水に城を造ったのはオランダ人ではなく、スペイン人でした。 大航海時代の1626年に、東方貿易の拠点を求めて台湾に進出してきたのですが、原住民の抵抗にあったため、軍隊を派遣して築城したのがサントドミンゴ城です。 1642年になると今度はオランダ人が進出してきて、スペイン人が撤退した城の跡に新たに築城したのが、今の紅毛城の原型です。 1661年に鄭成功率いる明軍が台湾に進攻してきた時、淡水のオランダ軍は原住民の襲撃を受けて淡水から撤退し、紅毛城は鄭成功の支配下となって修復が行われました。 やがて明から清へと代わったのですが、清はこの城の存在を重視していなかったため、長い間荒れ果てたままになっていたそうです。 清が開国して1860年に北京条約が締結されると、今度はイギリスが淡水に領事館を置きました。 紅毛城を租借したイギリスは、1867年に紅毛城を領事館へと改築し、1877年には紅毛城の横に新たに領事館の建物が建設されました。 第二次世界大戦の期間は、日本の進出によってイギリス領事館は閉鎖され、イギリスが領事館業務を再開したのは、終戦後の1948年になってからです。 その後イギリスが領事館を撤収したため、オーストラリア→アメリカと管理が移った後、ようやく台湾が接収したのは、1980年になってからのことでした。 長い間にわたって目まぐるしく変ってきた淡水の歴史ですが、台湾海峡に面した淡水河口の子の地は、それだけに魅力的な場所だったのかも知れません。 紅毛城から見た淡水河河口 台湾海峡のすぐ向こう側は中国大陸です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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