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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:海・港・岬・灯台
遣隋使、遣唐使、朝鮮通信使そして参勤交代や北前船の航路であり、日本国内のみならず古来より中国大陸や朝鮮半島との交通路となっていたのが上関海峡です。
山口県の南東部は瀬戸内海に大きく突き出した室津半島を形成しており、上関海峡を隔てて室津半島の先に上関(長島)があります。 室津半島と上関の間に架かる上関大橋 上関海峡は、防長二ヵ国でも中関(三田尻)・下関と並んで海上交通の要衝でもありました。 海峡の距離は約170mで水深は10m、大型船の航行には不向きかも知れませんが、航路としてはここを通るのが近道かと思います。 幕末の第二次長州征伐(四境戦争)においては、長州藩が上関海峡に砲台を設置し、幕府軍の艦船に対して海上封鎖を行った場所でもあります。 現在の上関砲台跡には、吉田松陰が残した歌碑が建っていました。 嘉永癸丑(1853年)十月十五日 舟を発し家室を過ぎ室津に到りて泊す。 詩あり云はく「故郷夢断えて涙潜々(たんたん)、舟子喚び(むせび)醒ます『是れ上関』」と。 蓬窓怪しむなかれ起き来ること晩き(おそき)を。國去りて看るに忍びんや故国の山 当時ではコスモポリタンであった吉田松陰にとっても、上関海峡は故郷の海そのものであったようです。 その吉田松陰の弟子、高杉晋作も上関を句に詠んでいます。 「室津上岡さおさしゃ届く なぜに届かぬ我が想い」 吉田松陰の漢文と高杉晋作の句、この師匠からこの弟子が出たのも不思議に思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/01/03 03:34:30 PM
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