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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(福岡編)
京都郡みやこ町とは雅な地名ですが、福岡県南部の山間部にあって、律令時代には豊前国の国府が置かれた行政の中心地でした。
他の律令国と同様、国府が置かれると共に国分寺も建立されました。 豊前国分寺は戦国時代の大内氏と大友氏の戦火によって焼失し、江戸時代の元禄年間に小笠原氏によって再建されています。 江戸時代の1684年に建立された鐘楼門。 現地の解説からはわからなかったのですが、戦国時代以前は律令時代の伽藍が残っていたのでしょうか。 本堂 同じく江戸時代の1666年の創建で、国分寺の金堂跡に建てられたそうです。 他の多数の国分寺同様に真言宗の寺院となっており、同様に薬師如来が本尊とされています。 国分寺創建当時の建物が現存するのは望むべくもないのですが、江戸時代の建造物が現存しているのは貴重なことだと思います。 他の国分寺同様に豊前国分寺にも七重塔が建っていたようですが、現在は三重塔が建っていました。 明治28年に建立されたもので、こちらが福岡県の史跡に指定されています。 現在の国分寺の背後には創建当時の伽藍跡が広がっており、発掘調査によって出土した講堂の基壇跡がありました。 豊前国分寺周辺には律令時代に寺院がいくつか建てられており、出土した瓦が展示されていました。 初めて知ったのですが瓦にも種類があるようで、太宰府系・近畿地方系(法隆寺系)・朝鮮半島系(白羅・高句麗・百済系)があるそうです。 瓦から歴史のルーツを辿ることは考えもつきませんが、豊前国分寺周辺からはいずれの瓦も出土しており、文化の交流点であったと推察されます。 それにしても1200年前に同じ伽藍を持つ寺院が各国に造られていたことは驚きです。 8世紀の初め、強力な中央国家と共に、仏教による集権国家が出来上がっていたことは、特筆すべきことではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/07/07 02:28:14 PM
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