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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(岡山・広島編)
これまで訪れた中で、駅からのアクセスが良かった城跡には佐野城(栃木)があり、新幹線の駅ならば同じ備後の福山城がありました。
いずれも駅のすぐ前に城跡があったのですが、さらにアクセスが良かったのが三原城です。 本丸石垣の上に新幹線ホームがあります。 三原駅へは石垣の間を通って入ることもできました。 本丸石垣の上に新幹線の高架駅を造ったのでしょうか、それとも新幹線の駅を造ってみたら、たまたま高架下に石垣があったのでしょうか。 三原城の築城主は小早川隆景、小早川水軍の軍港も兼ねていたようで、南側の瀬戸内海に面した水城でした。 三原駅にある縄張り図 三原城の別名は「浮城」とも呼ばれていたようですが、まさに曲輪が独立して海の上に浮かんでいる感じです。 本丸に現在の三原駅があり、山陽本線と山陽新幹線によって本丸が南北に分断されています。 三原駅の北側には内堀と石垣が残っており、解説板には「天守台石垣」とありました。 解説板でも否定されていますが、縄張り図を見ても「天守台」の呼称よりも、「本丸石垣」の方が正しいように思います。 北側から見た本丸石垣と内堀 三原城の本丸石垣の上に入ることも出来るのですが、三原駅のコンコースからしか入ることが出来ません。 ホームで新幹線を待つ人と城の本丸を見る人が、同じ高さですぐ近くにいるというのは、何とも奇特な構図です。 三原城は1567年に小早川隆景によって築城されました。 小早川隆景は毛利元就の三男で、吉川元春と共に「三子教訓状」(三矢の訓え)で知られる毛利両川の1人です。 ところで小早川氏と言えば関ヶ原の戦いで西軍から東軍へ寝返った小早川秀秋が知られていますが、小早川隆景との間に血縁はなく、小早川隆景の養子です。 小早川秀秋は豊臣秀吉の血縁者で、最初に毛利家の養子に迎える話があったそうですが、毛利家の方で断ったため、小早川家の養子になったとの話もあります。 (断って正解でしたが…) 小早川隆景は同じ三原市にある新高山城を本拠地としていましたが、水軍力強化のために城郭兼軍港として三原城を築城しています。 関ヶ原の戦い後は広島城の支城として福島正則の支配下となり、福島正則の時代に櫓などが築かれたそうです。 福島正則が改易されると浅野氏の支配下となり、そして1894(明治27)年に本丸跡に三原駅が開業していますぉ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/02/02 04:15:29 AM
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