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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(福岡編)
日本史の教科書の最初の方でおなじみの板付遺跡は、福岡空港の南端近くにあります。
(福岡空港も以前は「板付空港」と呼ばれており、当ブログで度々ご紹介する元エアラインの「キャプテン殿」も、「板付空港」と呼んだりします) 福岡に来たついでもあり、「福岡空港の南端くらいにあったな」くらいの感じで、板付遺跡を訪れてみました。 ところがその福岡空港が大きすぎて場所を見失ってしまい、近くのガソリンスタンドに立ち寄った時に板付の場所を聞くと、実は空港の反対側とのことでした。 (反対側に回るのが一苦労です) ついでに「板付遺跡はどこにあるのですか?」と聞くと、にわかにスタンドの店員さんが集まって話し始め、「板付に遺跡があるとね?」などと聞こえてきました。 そんなにマイナーな史跡を探しているつもりもないのですが、何とか板付遺跡を見付けることが出来ました。 板付遺跡は周囲を堀と土塁で囲んだ、弥生時代前期(約2,300年前)の環濠集落です。 板付環濠集落の模型(板付遺跡弥生館) 現在は住宅地のど真ん中に発掘された遺跡だけが残っている感じでした。 周囲の環濠跡 ちょうどANAのA320が低空で着陸していきました。 (A320の倍ほど大きさがあるB777では、目の前を横切っていく感じです) 環濠中心部の竪穴式住居 吉野ヶ里の「クニ」に比べると規模ははるかに小さく、「ムラ」といったところでしょうか。 環濠の外側、「ムラ」の周囲で稲作が行われていたようで、その水田の跡も発掘されていました。 畦があったりして、現代の水田とあまり変わらないようです。 水田跡にある「板付遺跡弥生館」には出土品の数々が展示されており、実際に板付遺跡から発掘された農耕具を見ると、鍬や鋤など現代とあまり変わらないものでした。 古代の農機具に並んで、現代のスコップと全く同じものも展示されており、感心してよくよく見ると、「スコップ(現代)」とありました。 「わざわざ板付に来てギャグなのか」とも思いましたが、展示品の数々は貴重なものばかりです。 石器 これが弥生時代の磨製石器の実物です。 土器 まさに高温で焼き上げた弥生式土器です。 邪馬台国は福岡市南部にあったと強く思っているのですが、この「ムラ」が発展して邪馬台国になったでしょうか、または邪馬台国の成立の中に呑み込まれたムラだったのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/07/07 02:09:42 PM
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