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カテゴリ:海・港・岬・灯台
関門海峡のすぐ西側、北九州市若松区の海岸線は工場の埋立地が続いていますが、そのさらに西側には、意外にも自然海岸が残っています。
響灘に面した海岸線は「若松北海岸」と呼ばれ、砂浜や岩場が続く変化に富んだ光景が続いていました。 その中に響灘に向かって突き出しだ岬があり、「遠見ヶ鼻」の名前がついています。 遠見ヶ鼻にある妙見埼灯台 江戸時代の1604年、江戸幕府の命によって黒田氏が遠見番所を置き、外国との密貿易の取り締まりや、難破船の救助にあたっていました。 妙見埼灯台は昭和41年に建てられ、妙見埼の名称も後世になってつけられたものだそうです。 北に向かって突き出した岬でもあり、妙見(北極星)に因んで付けられたのでしょうか。 ところで響灘と玄界灘は概ね北九州市と宗像市を境にして分かれているようで、遠見ヶ鼻のあたりがその境目 付近となります。 東側の響灘 本州の海岸線が見えています。 西側の玄界灘 水平線の向こうは対馬や朝鮮半島です 遠見ヶ鼻の岬の根元付近には、縁結びの神様とされる「御嵜(みさき)神社」があります。 元々は妙見埼灯台のある岬の先端部にあって、海に向かって建っていました。 現在の地に移転された理由には言い伝えがあって、夫婦の男性の神様が遠見ヶ鼻の夕陽に見とれてしまい、嫉妬した女性の神様の八つ当たりで、沖では遭難事故が続いたそうです。 そこで村人たちは夕陽が見えない現在地に移転し、陸に向かって社殿を建てたところ、その後は夫婦円満となり、縁結びや夫婦円満の神様として信仰されているとのことでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/09/19 09:36:28 AM
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