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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(福岡編)
「銀天街」は愛媛松山市の固有名詞だと思っていたら、他にも「○○銀天街」の名称を見かけるようになりました。
下関市の「唐戸銀天街」や宇部市の「宇部中央銀天街」など、山口県にもありました。 「銀天街」は西日本に集中していますが、「銀天街」とは現在のアーケード商店街のことで、その発祥の地が小倉の魚町銀天街です。 魚町にある「銀天街発祥の地」の碑 アーケード商店街と言えば、大阪の天神橋筋商店街など、現在ではポピュラーな商店街ですが、その発祥が小倉の魚町銀天街でした。 小倉では「小倉祇園祭」の最中で、浴衣や法被姿で銀天街を歩く人をよく見かけました。 さらには銀天街の中で山車を引いていました。 アーケードの途中で信号のある交差点を渡る時などは、特に交通規制があるでもなく、赤信号で停止して、青になると大急ぎで交差点を渡って行きました。 (「止まれ~」、「行け~」の掛け声がかかります) 小倉の祇園祭は京都のパロディーではありますが、その歴史は古く江戸時代初期に遡ります。 小倉城に入城した京都出身の細川忠興が、城内の八坂神社の祭りとしたのが始まりで、京都と同じく7月に開催されます。 (京都には2年半ほど赴任していたことがありますが、祇園祭の時は四条通りに交通規制があって、四条烏丸から東山七条まで徒歩で帰らなければならなかったため、あまりいい思い出がありません) 小倉の祇園祭と言えば、「無法松の一生」でおなじみの「小倉祇園太鼓」です。 「ぼんじゃございやせんか、松ですよ、松五郎が帰ってまいりました」 アーケード商店街発祥の小倉ですが、その他にもポピュラーなものが小倉の発祥です。 まずはパンチパーマ、小倉の理容店が発祥となっています。 そして焼うどん、今では全国当たり前の食べ物ですが、焼そばの代わりにうどんにしたのが小倉でした。 小倉と言えば焼うどんですが、あまりにもポピュラーになってしまったせいか、焼うどんの専門店みたいなお店はありませんでした。 そして小倉で食したのがこちら 焼ラーメン 豚骨スープで味付けをしてありますが、小倉の人からは「福岡の屋台の食べ物だろ」と怒られそうな気がします。 北九州市と福岡市は仲が悪いとも聞きますが、個人的には小倉の方がお気に入りです。 ちょっと関門海峡を渡って、よく小倉まで足を延ばしていました。 (銀天街を外れた路地など、我が江戸川区小岩の雰囲気によく似ています) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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