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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:東海道五十三次
桑名にやって来たもう1つの目的が東海道桑名宿、約2年ぶりの東海道宿場町めぐりです。
江戸日本橋から数えて42番目の宿場町で、宮宿(名古屋)との間には東海道唯一の海路である「七里の渡し」がありました。 歌川広重「東海道五十三次 桑名 七里渡口」 桑名城の石垣と幡龍櫓が描かれており、ここに桑名城の往時の姿を見ることができます。 現在の七里の渡し船着場跡 幡龍櫓が復元されて、国土交通省の水門管理事務所となっています。 また、昭和34年の伊勢湾台風の後に堤防が築かれ、船着場の跡は揖斐川の堤防で囲まれていました。 桑名宿は同じ七里の渡しの船着場があった宮宿に次いで、東海道五十三次の中でも2番目の規模があったそうです。 何より嬉しいことは宿場町が城下町ともなっており、城跡めぐりと街道めぐりがセットで出来ることでした。 数ある東海道の宿場町の中でも、城下町と宿場町がセットになっているのは小田原宿と小田原城・沼津宿と三枚橋城・府中宿と駿府城・掛川宿と掛川城・浜松宿と浜松城・吉田宿と吉田城・岡崎宿と岡崎城くらいでしょうか。 (沼津と岡崎以外は、新幹線の駅があるのもまたよろし、と思われます) 中でも桑名宿に関しては城と宿場町の間が近く、城郭の中心である本丸と宿場町の中心である本陣の距離は、500mも離れていないほどです。 (城と宿場町が近いのは楽でいいのですが、桑名に関しては「こんなに近くて大丈夫かな?」と思ったほどでした) その桑名城の北大手のすぐ隣に七里の渡しの船着場があり、船着場からもすぐ近い所に本陣や脇本陣がありました。 船着場からの旧東海道 その船着場のすぐ隣に脇本陣があったので、とても便利でした。 脇本陣「駿河屋」(現在は料理旅館「山月」) 右の端にあるのが渡し場の碑です。 その駿河屋のすぐ近くに本陣があり、大塚本陣の跡は料亭の「船津屋」となっていました。 船津屋(大塚本陣) 桑名宿には本陣が2軒あり、船津屋の大塚本陣と丹羽本陣がありました。 桑名宿の旧東海道 丹羽本陣付近 七里の渡しの船会所や問屋場もこの辺りにあったようです。 城跡と宿場町がほとんど同じ場所にあって、何かと便利な桑名宿でした。 一度は訪れてみたかった桑名城と桑名宿を同時に見ることができ、すっかり満足して桑名を去った後、肝心なことに気付きました。 「あっ、焼はまぐりを忘れた」 関連の記事 東海道~宮宿→こちら 桑名城→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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