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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:名所江戸百景
自転車に乗って浅草方面へ向かった後、向きを変えて今度は日本橋方面へと向かって行きました。
隅田川と日本橋川に囲まれた界隈は「日本橋○○町」の地名が残り、馬喰町・人形町・浜町・小伝馬町は駅名ともなっています。 小伝馬町は日比谷線の駅名だけでなく、牢屋敷があったことでも知られており、「小伝馬町があるならば、大伝馬町もあったのね」と、大よりも小の方が幅を利かせています。 大伝馬町にしても小伝馬町にしても、その地名からしてまさに伝馬と関係があって、小伝馬町で江戸市中の伝馬を担当し、大伝馬町では五街道向けの伝馬を担当していたようです。 五街道の起点である日本橋に近い大伝馬町では、徳川家康に道中伝馬役を命ぜられた馬込勘解由が屋敷を構えており、小伝馬町には名主である宮辺又四郎が伝馬役を務めていました。 由緒としては大伝馬町の方が上で、江戸時代では現在と逆だったのかも知れません。 そしてその江戸時代、歌川広重から見た大伝馬町はどんなものだったでしょうか。 (上)歌川広重「名所江戸百景」より「大てんま町木綿店」 (下)歌川広重「名所江戸百景」より「大伝馬町ごふく店」 東海道五十三次の宿場町めぐりでもそうですが、歌川広重の見た江戸時代が現在ではどうなっているのか、その場所を探して比較して見てみるのは興味深い探索です。 (実に2年ぶりの江戸百景めぐり、随分とご無沙汰な企画です) 広重の時代の日本橋大伝馬町では木綿店が4店舗あったそうですが、江戸時代の古地図を見ても、その場所が特定できませんでした。 現在のような問屋街ではなく、大名の江戸屋敷や旗本の屋敷が並んでいるだけです。 それでも広重が描いた「丸に大」の暖簾にヒントがあって、まさに大丸の江戸店、現在の八重洲ではなく日本橋大伝馬町にありました。 その大丸江戸店の場所ですが、今となっては残っておらず、「何となくこの辺りかな」といったところです。 関連の記事 東海道五十三次~日本橋→こちら 伝馬町牢屋敷→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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