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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:名所江戸百景
江戸時代には神田川と隅田川が城下町の外堀の役目を果たしていたことを思うと、隅田川に合流する神田川の河口付近、日本橋馬喰町界隈は城下町の北東の端にあったことになります。
ところで馬喰町の地名の由来ですが、中央区のHPによると「天正年間(1573~1591年)博労頭高木源兵衛・富田半七らが住んでいたという記事がありますが、それが町名の由来であるのか明らかではありません」とのこと。 奥州街道・日光街道の街道沿いにあり、神田川の浅草御門(浅草見付)や隅田川に架かる両国橋(成田街道・千葉街道)にも近い交通の要衝であることから、伝馬町のようにてっきり馬と関係があるのかと思っていました。 さすがに「博労町」では具合が悪いかと思いますが、それでも歌川広重の名所江戸百景では「馬喰町初音の馬場」となっており、馬場があったこともうかがえます。 歌川広重「名所江戸百景 馬喰町初音の馬場」 柳の木があるので川沿いのようにも見えますが、果たしてどの辺りなのか、今となっては特定できませんでした。 (火の見櫓が描かれているので、消防署まで探してみましたが、全くの徒労でした) 現在の馬喰町 休日とあって人も車もなく、まるで別世界のようでした。 現在の馬喰町や横山町と言えば繊維問屋が並び、坂善やエトワール海渡などの本店もあったりして、まさに「糸ヘン」の街並みです。 横山町繊維問屋街の入口 馬喰町や横山町界隈にはあまり馴染みがなく、自転車で巡っていても同じところをグルグル回っている感じでした。 (個人的には隅田川を再び渡った「食ヘン」や「さんずいヘン」、両国・錦糸町そして我が小岩の方に馴染みがあるので) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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