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カテゴリ:山登りと山歩き
当初の予定では、明星ヶ岳から外輪山を少し戻り、外輪山内側の宮城野方面に下りて、「強羅」か「彫刻の森」駅から箱根登山鉄道に乗るルートを予定していました。
明星ヶ岳山頂でふと、「このまま外輪山を行くのもありかな」と。 外輪山を行くと次なる目標は塔ノ峰、案内表記では95分となっています。 概略図と歩行時間の目安を見ると、明星ヶ岳→塔ノ峰は95分で、反対の塔ノ峰→明星ヶ岳は115分、すなわち明星ヶ岳から塔ノ峰までは下りが続くようです。 途中の区間タイムも書いてあったので、塔ノ峰の手前で登りになることもわかりました。 (距離表記だと登りも下りも同じなので、時間表記もまんざらではありません) 下りでもあり、まだ1時前で時間的な余裕もあるので、このまま外輪山を歩いて塔ノ峰まで行ってみることにしました。 実は明星ヶ岳から先の地形図を持っておらず、塔ノ峰は元箱根のあたり、すなわち明星ヶ岳の南西方向にあると思い込んでいました。 道の途中でコンパス(方位磁針)を確認した時、「気のせいか東に向かっている」と思っていたのですが、気のせいではなく塔ノ峰は明星ヶ岳の南東方向にあることが後に判明しました。 明星ヶ岳からは前にも後にも歩く人を見なくなり、まさに大自然の中を歩いている感じでした。 樹林帯が切れると少し見える相模湾も、だいぶ近くなってきました。 聞こえてくるものといえば風でなびく木々の音や、鳥のさえずりくらいです。 何よりもありがたいのは、この季節になると落ち葉の中をガサゴソと這い回る音、何よりも苦手な天敵である爬虫類がいないことでした。 それでも1時を過ぎてから登りの人ともすれ違うことがあり、「この時間からどこに行くのだろう?」と思ったほどです。 (しかも玄人っぽいオーラを放って) 山の短い挨拶を交わしながら、ふと三木清の「人生論ノート~『旅について』」を思い出しました 「ひとはさまざまの理由から旅に上るであろう。~(中略)~ 旅に出ることは日常の生活環境を脱けることであり、平生の習慣的な関係から逃れることである。旅の嬉しさはかように解放されることの嬉しさである。~(中略)~ 解放も漂泊であり、脱出も漂泊である。そこに旅の感傷がある。~(中略)~ 漂泊の旅にはつねにさだかに捉え難いノスタルヂヤが伴っている。~(中略)~ 人は誰でも多かれ少かれユートピアンである。旅は人生の姿である。」 山を登る人も下る人も、一期一会ながら「多かれ少なかれユートピアン」であり、ノスタルジーに裏付けられているのかも知れません。 そう言えば人のいない山道で、ふと子供の頃に探検した小高い山を思い出し、同じノスタルジーを感じました。 そうこうしているうちに下の方から聞こえるエンジン音やタイヤの摩擦音などの人工音が聞こえるようになり、ようやく白日夢から醒めた頃にアスファルトの道路が目の前に現れました。 まだ元箱根方面に向かっていると思っていたので、これを旧東海道だと勘違いしていました。 しばらくは文明の利器、自動車と共にアスファルト道路を下った後、再び山道へと入って行きました。 視界が利くようになった頃、稜線の左側には丹沢山系が見えてきました。 大山と丹沢表尾根 おそらく向うからこちらを見るとこんな感じでしょうか。 塔ノ岳から見た箱根外輪山(2週間前) 振り返ると外輪山ははるか そして塔ノ峰に到着してみると ただ普通に木が生えていました。 ここに来て思い出すのは、幕末の長州藩家老である村田清風の詠んだ歌です。 「来てみれば さほどでもなし 富士の山」 来てみればさほどでもない塔ノ峰でした。 案内表記では明星ヶ岳から塔ノ峰の所要時間は95分でしたが、実際には75分(休憩含む)で到着でした。 そして塔ノ峰から先はどうするか 「水之尾」は知らないにしても、「塔ノ沢」が近いとは。 「あれ?塔ノ沢が近いのか?」と、ここでは迷わず下りることにしました。 それでも途中の阿弥陀寺に至る道はひどいもので、この有様です。 何が起こったのかはわかりませんが、竹林がなぎ倒されるほどの崩落で、とても道と呼べるものではありませんでした。 そして阿弥陀寺に到着 参拝客が一様にビックリした顔をしていたのですが、この裏山から熊やイノシシならまだしも、人間が現れるとは思ってもみなかったことでしょう。 阿弥陀寺から舗装道をブラブラ歩いていると、あまりに見慣れた光景に出くわしました 元箱根ではなく、なんと箱根湯本でした。 よく歩いたものだと思いつつ、実はプレリュードだと思うようになっていました。 本当に歩いてみたいのは、厳冬期に関東南部を低気圧が横切った後、白銀の箱根外輪山です。 関連の記事 箱根外輪山縦走~その1(大雄山~明神ヶ岳)→こちら 箱根外輪山~その2(明神ヶ岳~明星ヶ岳)→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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