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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(埼玉編)
交差点ではよく耳にする「通りゃんせ」、この歌詞にある「天神様の細道」とは、三芳野神社の参道だとされています。
三芳野神社境内にある「わらべ唄発祥の所」の碑 いくらなんでも「わらべ唄発祥」とは大風呂敷だと思っていたら、横に小さく「ここはどこの細道ぢゃ 天神さまのほそみちぢゃ」と書かれていました。 つまりは「通りゃんせ」のわらべ唄発祥ということのようです。 三芳野神社は河越城本丸のすぐ隣にあり、三芳野神社の創建は平安時代初期の大同年間(806年~810年)と言いますから、河越城築城の600年以上前からここにあることになります。 三芳野神社の主祭神はスサノオノミコトとクシイナダヒメノミコトだそうで、神社の名前にも「天満宮」や「天神」の名前はありませんが、菅原道真もここに祀られています。 太田道灌が河越城を築城するにあたって、三芳野神社を河越城の鎮守としました。 そしてここに「天神曲輪」を造ったことからも、古くは「天神様」であったことがうかがえます。 江戸時代に入った1624年に川越城主であった酒井忠勝によって社殿が再興され、1656年に同じく川越城主であった松平信綱(知恵伊豆)によって改修されました。 現在の社殿は松平信綱の時のもののようですが、松平信綱が奉納した「三芳野天神縁起絵巻」にもあるように、ここでも「天神」の名前が出てきます。 川越城の本丸のすぐ隣にある三芳野神社ですが、江戸時代には日時を指定して一般の参拝も認められていたようです。 それでも江戸防衛の要衝である川越城の、しかも本丸のすぐそばにあっては、参拝客も厳しく取り締まられました。 そこから「行きはよいよい 帰りはこわい」の唄ともなったようです。 その「天神様の細道」、三芳野神社の参道 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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