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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:名所江戸百景
山谷堀南側の隅田川沿いに待乳山(まつちやま)聖天があり、正式名称は待乳山本龍院と言って浅草寺の支院の1つだそうです。
待乳山聖天 境内入口脇には、「池波正太郎生誕の地」の碑がありました。 池波正太郎は1923(大正12)年に生まれ、生家は旧東京市浅草区聖天町61番地にあったのですが、関東大震災で焼失してしまったそうです。 待乳山聖天では、大根を手に持った人をよく見かけ、拝殿にも二股大根の紋章が見られました。 なぜ大根なのか、由来はよくわかりませんでした。 待乳山聖天は標高9.8mの場所にあり、国土地理院の1/25,000地形図にも三角点が載っています。 ここだけが隆起したように小高い丘になっているのですが、待乳山聖天の解説によると、推古天皇の595年に突然ここだけが盛り上がり、金の龍が舞い降りたとのことです。 (浅草寺の山号「金龍山」もここに由来しているのかも知れません) 待乳山聖天の本殿東側は、モノレールで登り降りするほどの急斜面です。 さらに待乳山聖天の案内によると、江戸時代は東都随一の眺望があったようで、遠くは筑波や国府台なども見渡せたそうです。 現在の待乳山からの眺望 待乳山は数々の浮世絵や詩歌の題材ともなったようですが、歌川広重も名所江戸百景の中で、隅田川対岸から見た待乳山の遠景を構図にしています。 歌川広重 「名所江戸百景 真土山山谷堀夜景」 当時は「真土山」と呼んでいたのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013/07/15 03:01:18 PM
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