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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:名所江戸百景
京急を北品川駅で降りたのは初めてですが、品川駅からは1駅の距離にあり、しかも品川駅の北ではなく南になります。
北品川と言えば北品川商店街、品川宿の旧東海道の入口となります。 旧東海道の北品川商店街の西側、JRの線路を挟んだところにあるのが御殿山です。 御殿山ガーデン 歌川広重「名所江戸百景 品川御殿山」 広重の構図には浅瀬のような場所が描かれていますが、現在は東海道新幹線、東海道本線、山手線、京浜東北線、横須賀線が通っています。 高級住宅地として知られる御殿山には、現在も在外公館があったりします。 ミャンマー大使館 幕末開港後の1861年、幕府は各国の公使館をこの御殿山に建設する計画を立てていました。 しかしながら1863年、横浜から移転して建設中のイギリス公使館が長州藩士によって焼き討ちされる事件が起こっています。 この事件の首謀者は松下村塾のツートップ高杉晋作と久坂玄瑞で、実行部隊には同じく吉田松陰の門下生で高杉晋作の舎弟であった伊藤俊輔(のちの博文)や、志道聞多(のちの初代外務大臣井上馨)などがいました。 伊藤博文と並んで高杉晋作の愛弟子であった山縣狂介(のちの有朋)は加わっていなかったようですが、イギリス公使館を焼き討ちにした人物が後に内閣総理大臣や外務大臣を務めるわけですから、この時代の変化の早さをうかがえる事件だったと思います。 向かって左から高杉晋作・松陰先生・久坂玄瑞(2011年11月萩往還にて) 左から山縣狂介(有朋)・木戸孝允(桂小五郎)・伊藤俊輔(博文) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013/08/17 11:53:24 AM
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