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カテゴリ:山登りと山歩き
丹沢山や蛭ヶ岳・塔ノ岳などが居並ぶ丹沢主脈、その丹沢主脈から外れた西丹沢のさらに南の端に大野山があって、まるで丹沢山地の前衛を務めているような地味な存在です。
その大野山の最寄駅はJR御殿場線の山北駅で、駅からは歩いて登ることができます。 山北駅 丹那トンネルの開通前、まだ御殿場線が東海道本線だった頃は、急勾配を登る機関車をここで増結していたそうで、駅前にはSLも展示してありました。 ところで国府津で御殿場線に乗り換えた時、熱海以西の東海道本線と同じ車両だったので驚きましたが、御殿場線はJR東海の管轄になるようです。 まだレトロな雰囲気の残る山北駅前の商店街を抜けた後、旧川村関所跡で国道と別れて北に向きを変えて行きました。 東海道の本道では箱根関所があまりにも有名ですが、脇街道にもこの川村関所を始めとして、矢倉沢や仙石原などにも関所が置かれていたようです。 国道と別れてからは、交通量の多い2車線の車道脇をすり抜けるように歩いて行きました。 東名の下を抜けて 2車線の車道からさらに分岐し、鍛冶屋敷や古宿の地名が残る住宅地の中を抜けて行きました。 旧共和小学校(現在は廃校) 校舎の向こうにようやく大野山の山容が見えてきました。 途中にある炭焼窯 山北駅から歩くこと約4km、ようやくアスファルトの道を抜けて登山道の入口にとりつきました。 しばらくの間は樹林帯の急登でしたが、アスファルト道に比べれば快適な山歩きでした。 ようやく樹林帯を抜けた後、急に視界が開けて牧草地の斜面が目の前に現れました。 大野山の山頂には牧場があり、標高700mを超える高原牧場になっています。 牧草地脇の登山道はさらに急な登りとなり、樹林帯を抜けたので炎天下に野ざらしとなりました。 嬉しいやら悲しいやら、複雑な励ましです。 異例の登りでトレッキングポールを使っていたところ、足元で何やら急に動き出すものがあり、見れば大の苦手のヘビが前を通って行きました。 それまで青息吐息だったのに、どこにそんなパワーが残っていたのか、残りの斜面を駆けるようにして登って行きました。 シマヘビだったので無毒ですが、私にすれば「やぶへび」だし、ヘビにしてみれば「藪から棒」だったと思います。 あわてて牧草地の斜面を抜けみると、目の前には丹沢の主脈が堂々たる山容を見せていました。 こんなに近くで見ると、やっぱり圧巻です。 山頂一帯にある牧場の中を通って、大野山の山頂にとりつきました。 大野山山頂(標高771m) お盆期間中だったので牧場も休みのようでしたが、他に誰もいないため、しばらくの間この高原牧場の景色を独占することとなりました。 さっきヘビがいた牧草地と小田原市街地の方向 牧草の中を吹き渡る風は爽快でした。。 丹沢湖の方向 富士山の方向 夏場は難しいと思いながら期待していたのですが、やはり富士山は無理でした。 しばらくの間はここにいたかったのですが、何やら西の空からドーンドーンという音が何度も聞こえてきました。 後から考えれば富士演習場の迫撃砲の音だったかも知れませんが、てっきり雷鳴だと思ってやむなく大野山を後にすることにしました。 帰りは来た道を山北駅まで引き返すルートと、西の方から谷峨駅を目指すルートがあるのですが、来た道を引き返してさっきのヘビがいたら困るので、西の方から降りることにしました。 歩き始めるとすぐに、何人かの人影が目に入って来ました。 考えてみればこの日の大野山ではヘビ以外に誰とも会っておらず、近づいてみるとハイカーではなく、牧場の関係者のようです。 短い挨拶を交わすと、あちらも人を見るのが珍しかったのか、近づいてきて話をしてくれました。 聞けばちょうど前の週に牧草を刈ったばかりで、ちょうどいい長さになったとのこと。 さらに冬の大野山は穴場で、雪が積もると一面の銀世界が広がるとのことです。 西側の斜面にも牧草地が広がっており、この日は放牧のため迂回路が設けられていました。 牛の姿が見えなかったのですが、牛も暑さでどこかへ隠れているのかも知れません。 西側の斜面から眺めると、箱根の山々が間近に迫っていました。 小田原市街地の方向 相模湾はかすんでいましたが、早雲山を望むことができます。 帰り道も山道が終わって舗装道となり、都夫良野の頼朝桜の横を通って、谷峨駅へと降りて行きました。 登山道終点 普通に民家の脇に出てきます。 都夫良野の頼朝桜 酒匂川を渡るとナツアカネが飛び交う水田地帯となり、猛暑の中にかすかに秋の気配を感じました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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