|
テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(東京編)
「あきる野百景めぐりマップ」という無料小冊子をゲットし、「秋川渓谷 瀬音の湯」の湯上りにビール瓶を傾けながら、興味深く読んでいました。
その小冊子の東秋留地区の散策マップを眺めていると、「二宮神社並びに城跡」の文字があります。 「二宮神社並びに城跡」として東京都の旧跡に指定されているようで、「城跡」とあっては素通りするわけに行きませんでした。 (「並びに城跡」などと、おまけみたいな言い回しが気になりますが) JR武蔵五日市駅から4駅目、五日市線を東秋留駅で降りて、300mほど歩いたところに二宮神社の境内があります。 現在は「あきる野市」と平仮名表記になっていますが、旧秋川市の漢字表記は「秋留」となり旧五日市町では「阿伎留」となるのが興味深いところです。 二宮神社にある「秋留」は、多摩川・秋川・平川の合流点に近く、河岸段丘のある平野部が広がっています。 境内の敷地も一段高い台地上にあり、周囲には土塁か切岸のような地形が見られました。 これが城郭の遺構なのかどうか、よくわかりません。 それでも鳥居の手前にある池がの注意書き板には、「堀」の文字が使われていたため、地元では城郭と認識されているのかも知れません。 堀跡とも言われるこの池ですが、「東京の名湧水57選」に選ばれているそうです。 「日本百○○」とか「○○百選」などはよくある話ですが、「名湧水57選」とはなんとも中途半端な選定です。 (100選を目指したけど57選が限界だったのか、いっそ50選にしてみると各所の調整が難しかったのか) ところで二宮神社については、武蔵国一宮である大国魂神社(府中市)に次ぐ、武蔵国二宮がその名前の由来です。 拝殿 拝殿横の盛土が土塁に見えなくもありません。 二宮神社の境内を城跡として見るならば、方形の一重堀と土塁で囲まれた中世の武士居館だったと思われます。 城跡と言われれば堀や虎口跡のようにも見えますが、やっぱりよくわかりません。 大石氏が居館を構えていたことは文献にも残っていますが、その場所については明らかになっていません。 二宮神社の境内もその候補の1つで、昭和37年に「二宮神社並びに城跡」として東京都の旧跡に指定されました。 その後の発掘調査では、縄文時代の遺構は出てきたものの、中世の城跡(居館)の遺構は出てこなかったそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014/12/12 10:11:18 PM
コメント(0) | コメントを書く
[城跡と史跡(東京編)] カテゴリの最新記事
|