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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(東京編)
「府中」の地名にあるように、律令時代に武蔵国の国府が置かれていたのが、現在の府中市です。
その武蔵国の政庁は、現在の大国魂神社の境内にあったようです。 国府跡の碑 大国魂神社は武蔵国の総社として、武蔵国の一ノ宮から六ノ宮までが祀られ、「六所宮」と呼ばれていました。 随神門 一口に武蔵国と言っても、現在の行政区分では東京都・埼玉県の全域と神奈川県の横浜市・川崎市となり、大国魂神社はその3都県の総社ということになります。 中雀門 拝殿 大国魂神社には武蔵国府に関する「府中ふるさと歴史館」(入場無料)があり、出土品などが展示されていました。 和同開珎 府中に限らず、あちらこちらに郷土資料館みたいな展示館があるかと思いますが、時間の許す限り足を止めてみるのがいいかと思います。 ふと訪れた土地であっても、その地に関する展示物が豊富なので、最も詳しい歴史を知ることができます。 (公立であることも多いので、入館料も格安(または無料)なのもよろしいかと思います) 六所宮のあった大国魂神社の参道は、「馬場大門けやき並木」として、現在も並木道が続いています。 けやき並木の起源については諸説あるようですが、「前九年の役」で奥州に向かう源義家が大国魂神社で戦勝祈願をし、勝利した帰途に苗木を植えたとする説がその1つにあります。 徳川家康によって補植され、現在のケヤキ並木になったとも言われています。 「八幡太郎」の源義家が、奥州に向かう途中、「ここで戦勝祈願をした」という話は幾度となくありました。 奥州征伐よりもあちこちの戦勝祈願で忙しかったのではないかと思うほどですが、やはり各地で語り継がれる「武家の棟梁」だったのかど思います。 源義家像 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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