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カテゴリ:山登りと山歩き
2月の奥高尾縦走路で久々に復活した「山旅会」ですが、めでたく3月も開催する運びとなりました。
陣馬高原下から高尾山口駅まで奥高尾縦走路18.5kmを走破した後、主催である私が提案したのは、意外にも南房総の鋸山です。 鋸山遠景(下山後) 「山高きが故に貴からず」とは言いますが、今回の山旅テーマは「海と山」にしてみました。 そして、房総半島南部の山に登るのに、集合場所は三浦半島南部の京急久里浜駅です。 久里浜港 久里浜港から東京湾フェリーに乗り、目指すは浦賀水道の対岸にある南房総の金谷港です。 いつもは屋上デッキから浦賀水道を航行する船の数々を眺めていたりするのですが、この日はキャビンへと降りて行きました。 そして約40分のクルーズが終わって金谷港に着いた時、我々の一角では既にワインのボトルが2本も空いていました。 浜金谷駅前 いつも不思議に思うのですが、三浦半島にいたかと思うと40分後には房総半島にいたりして、何だかワープしたような気分です。 鋸山へはロープウェー利用か鋸山自動車道が一般的で、登山道なら車力道経由か「関東ふれあいのみち」経由かと思います。 実は地図に載っていない登山道があって、ロープウェーの山麓駅から山頂駅までの最短ルートが存在しています。 これまで何度かこの道を行ったことがあるので、今回もこちらを行くつもりでいました。 ロープウェーの山麓駅と駐車場を横目に見つつ、最初のアスファルトの道を歩いていると、駐車場警備の人に「裏道を行くのですか?」と呼び止められました。 個人的には「裏道」のつもりはなく、「何度も登っているけどな~」と思っていたのですが、さらには「整備されていないので危ないですよ」とのことです。 何度も登っていながらも直近でこの道を行ったのは4年前のことだし、ここは無難にルートを変えることにしました。 他の登山道としては車力道か「関東ふれあいのみち」となりますが、実は個人的には半年前に車力道を登ったところです。 車力道(2015年9月) 車力道は歴史的にも貴重な史跡で、江戸時代には鋸山から切り出された「房州石」を運んだ道でもあります。 それでもこれを登るのはリズムが悪く、何だかんだと言いながら「関東ふれあいのみち」へと誘導していました。 さすがに「関東ふれあいのみち」は整備されていて、道中にはソメイヨシノも咲いています。 かつての石切場跡 房州石の切り出しは江戸時代に始まり、昭和50年代まで続いていたそうです。 石切場からは急な登りが続き、「地球が丸く見える展望台」でようやく一息つきました。 浦賀水道 手前が金谷港で、すぐ対岸は横須賀です。 南房総方面 展望台からは一旦石切場に戻って、鋸山の名物「地獄のぞき」へと向かいました。 この辺りまで来ると、ロープウェーや自動車道で来た人たちが大半で、歩いて登って来る方が奇特な感じです。 「地獄のぞき」の名前の通り、上から見ると絶景だったのですが、横から見てみるとすごいことになっていました。 鋸山の尾根上は日本寺の境内となっており、これまで何度か鋸山には登ってきましたが、日本寺を訪れるのは初めてでした。 ロープウェー山頂駅の展望台に行くには日本寺の境内を通らなければならず、拝観料を支払って日本寺に入って行きました。 百尺観音 日本寺の開基は奈良時代の725年とされ、石橋山の戦いで敗れて房総に逃れた源頼朝も、武運を祈願したそうです。 本尊の大仏(薬師瑠璃光如来) ロープウェー山頂駅は少し低い場所にありますが、海により近いこともあって、ここからも素晴らしい眺望が広がっていました。 浦賀水道 冬場の空気が澄んだときなどは、三浦半島の向こうに富士山を望むことができ、太平洋の水平線上には伊豆大島が浮かんでいます。 房総半島の南側に目を転じると、富山・伊予ヶ岳・御殿山の「安房三名山」が一望できました。 房総の山々は標高こそ高くないものの、まさに「山高きがゆえに貴からず」で、いずれも名山の名に恥じない山容だと思います。 ロープウェーの山頂駅からはロープウェーではなく、当初の登りで想定していた「裏道」を降りて行きました。 降り始めてしばらくはなだらかな稜線が続き、木々の間からは右に東京湾、左に太平洋を望む快適な山歩きです。 本格的な下りに差し掛かると、目の前にかつての里見義堯の居城、金谷城跡が見えてきました。 現在は痛々しい姿の金谷城跡 浜金谷に降りてきた後、いつもなら「船主」で地魚と地酒を楽しむところですが、フェリーまでの時間がないことと、何よりお腹が一杯だったので、今回はあきらめることにしました。 鋸山の山容に見送られつつ、再び三浦半島の久里浜へと戻ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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