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テーマ:史跡めぐり(508)
室町時代の初めから戦国時代までの約200年間、会津を支配していたのが葦名氏でした。
その葦名氏が本拠地とした小田山城は、会津若松城から南東へ約1.5kmの距離にあります。 会津若松城天守から見た小田山城遠景(正面手前の小高い丘です) 会津若松城を訪れた後、小田山城跡を訪れるために小田山へ向かいました。 小田山城の途中には、戊辰戦争の会津戦争で政府軍が砲台を置いた「西軍砲陣跡」があります。 西軍(政府軍)砲陣跡 戊辰戦争の政府軍に対し、会津藩主松平容保は藩兵や婦女子5,000名と共に会津若松城に籠城する作戦をとりました。 その籠城戦に対し、板垣退助率いる政府軍(西軍)とった作戦は、城内を見下ろすこの小田山にアームストロング砲5門を備え、城内に向けて一斉砲撃を行うというものです。 アームストロング砲の射程距離は2千数百メートルもあり、小田山から直線距離で1,400メートルの会津若松城は、十分射程距離内にありました。 その状況で1ヶ月も籠城戦を戦い抜いた会津藩ですが、政府軍の圧倒的火力の前に降伏開城しています。 小田山から見た会津若松城 ところで小田山城跡のある小田山山頂へは、クルマを降りて歩いて登城道を登る必要があります。 登城道入口には小さな駐車スペースがあって、いくつか張り紙がしてありました。 名前は忘れましたが毒キノコの生息情報などもあり、採取して食べないよう注意書きがしてありました。 その中にクマの目撃情報があったのですが、「そんなキノコを採る人がいるのだろうか?」と、毒キノコ情報の方が気になってしまい、クマ情報にはあまり気に留めていませんでした。 (もちろんキノコを採って食べたりしませんが) 西軍砲陣跡から山頂を目指して再び九十九折の登城道を登っていると、登城道脇の藪の中からガサゴソと音がし始めました。 試しに立ち止まってみると登城道脇のガサゴソも止み、再び歩き始めるとまたガサゴソと動き始めました。 もう一度試してみても同じ結果だったので、風や気のせいなどではなく、何か動物がいるとしか思えませんでした。 しかも私を先回りしている気配があって、行動を読んでつけている感じです。 一旦九十九折の道を引き返してターンした時、そのガサゴソもショートカットして降りてきて、藪の中から目の前に現れたのは、体長1メートルはあるツキノワグマでした。 大きな前足をクロールするようにして藪の中から出てきたのですが、向こうも私の顔を見るなり、びっくりしたようにミッキーマウスみたいな丸い耳を立てていました。 (これまでのやり取りでまさかとは思うのですが、こちらの動きに気づいてなかったのでしょうか) ここは自力で対処するしかなかったものの、クマに遭遇した時の手順を思い起こす余裕はありました。 まず、絶対やってはいけないこと、 ・あわてる →クマも気配を察して襲ってくることがあります。 ・背中を向けて走って逃げる →クマは背中を見せて逃げるものを追う習性があり、これは絶対にNGです。 ・死んだふり →論外 クマの目をじっと見て、後ずさりしながらクマとの距離を空けて行くと、クマは下の方の藪に降りて行きました。(でもそっちは帰り道なんだけど・・・) クマと遭遇した時の対処法、頭ではわかっていても、実践するとかなり勇気がいります。 福島県警には通報して、目撃時刻・場所・クマの大きさなどを伝えたところ、パトカーが何台か来て緊急配備みたいになったため、さすがに小田山城はまたの機会に訪れることにしました。 西軍砲陣跡と言えば、会津若松城までアームストロング砲の砲弾が届く距離なので、市街地からあまり離れていません。 この季節、たとえ市街地に近くても、目撃情報には十分注意した方がいいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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