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テーマ:史跡めぐり(508)
会津若松は何度か訪れているものの、ここを訪れるのは初めてかも知れません。
会津若松城天守から見た飯盛山 飯盛山は戊辰戦争時に会津の白虎隊士が自刃した場所として有名ですが、土産物店が観光客目当てに強引な客引きを行うことでも知られています。 (会津若松市のHPにも過去苦情が寄せられていました) 私が訪れた時は良心的で、「山上の土産物屋で買うと駐車場が無料になります。買わなくても駐車場代は頂きません」とのことでした。 (一応お土産は購入しました) 長い階段(無料)または動くスロープ(有料)で山上に着くと、線香の煙に包まれた白虎隊二番隊士19名の墓所があります。 白虎隊士の墓所 山上には墓所以外にも、いくつかの碑が建っていました。 会津藩受難烈婦の碑 戊辰戦争で戦死した会津藩の婦女子230名の霊を弔うため、昭和3年に山川総次郎東京帝国大学総長(元白虎隊士)など篤志家によって建てられたものです。 ローマ市寄贈の碑 同じく昭和3年にローマ市より寄贈された碑で、「文明の母たるローマは白虎隊士の遺烈に不朽の敬意を捧げんため、古代ローマの権威を表すファシスタ党章の鉞を飾り、永遠偉大の証たる千年の古石柱を贈る」とあります。 飯盛山の山上から尾根伝いに下った先に白虎隊自刃の地があり、その途中には二番隊士の中でただ一人蘇生した飯沼貞雄の墓所があります。 飯沼貞雄墓所 戊辰戦争後は通信省の技師となり、昭和6年に仙台市で78歳の生涯を閉じました。 そして会津若松城を見下ろす尾根上にあるのが、白虎隊二番隊士自刃の地です。 飯盛山から見た会津若松城 白虎隊自刃の地に建つ霊塔 戊辰戦争という、全く大義のない戦いに駆り出されたのが白虎隊を含む会津藩兵であり、その戦いに駆り出したのは藩主松平容保と主戦派の家老たちです。 さらに言うならば、近藤や土方率いるテロリスト集団、「新撰組」の最大のバックが松平容保ではなかったでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/07/06 07:39:07 AM
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