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パクス・ジャポニカ Vol.2

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2017/07/03
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テーマ:城跡めぐり(1254)
阿蘇くまもと空港から向かった先は、阿蘇山カルデラのさらにその先、熊本県との県境にある大分県竹田市です。(大分県ながらアクセスは熊本空港の方が便利です)

瀧廉太郎が「荒城の月」を作曲するにあたり、イメージしたのがこの岡城でした。
(作詞の土井晩翠が構想したのは、仙台城会津若松城だとされています)
岡城登城口.JPG
岡城址碑と登城口

スピーカーから「荒城の月」の男性独唱が延々と流れる異様な雰囲気の中、登城道を登っていくと、目の前の斜面に大手門の高石垣が現れました。

岡城大手口石垣.JPG
大手門櫓台跡

大手門を注意深く見てみると、桝形や門の礎石だけでなく車敷まで残っていました。
岡城大手門礎石.JPG
礎石跡

岡城大手門車敷.JPG
車敷跡(現存する遺構だと思います)

岡城大手門桝形.JPG
桝形跡

この大手門は、1612年に築城の名手として知られる藤堂高虎が岡城に立ち寄った時のアドバイスにより、向きを変えて建て替えられたものだそうです。
(ということは、藤堂高虎は伊勢国津からはるばる豊後国竹田までやって来たのでしょうか)

以前の大手門跡も「古大手門」として残っていました。
岡城古大手門跡.JPG


岡城は標高350mの天神山の山頂に本丸を配し、城郭の広さは約100万平米と、東京ドーム22個分の広さがあります。
復元鳥瞰図を見ると、まるで山上の要塞都市のような感じです。
岡城縄張鳥瞰図.JPG
現地にある復元鳥瞰図

大手口からは西の丸の方に行ってみました。
岡城西の丸虎口跡.JPG
西の丸東門跡
(碑には「近戸門跡」とありますが、地図で見ると「東門」となっていました)

岡城西の丸石垣 (3).JPG
西の丸南側石垣

西の丸の虎口は二段になっており、筋違いで上段にもう一つ虎口があります。
岡城西の丸虎口 (2).JPG

西の丸には1664年に第三代藩主中川久清によって御殿が建てられ、中川久清の隠居用に使われていました。
その後は西の丸御殿で元日の行事が行われた記録があることや、法事や慶事などが行われていることから、儀礼的な役割があったようです。
岡城西の丸.JPG
西の丸の曲輪跡
岡城に限らず、西の丸にはご隠居が住むケースがよくあります。

西の丸の北側には火除けの神様である秋葉神社が祀られていたようで、その跡の碑が建っていました。
岡城西の丸秋葉社跡.JPG
秋葉社跡

西の丸の周囲には、家老や城代の屋敷が並んでいたようで、石垣や曲輪の跡が残っていました。

岡城家老屋敷跡.JPG
西の丸北側の中川民部(家老)屋敷跡

岡城西の丸虎口.JPG
西の丸から中川民部屋敷に至る虎口跡

岡城西の丸石垣 (5).JPG
西の丸石垣(家老屋敷側から見たところ)

岡城中川但見屋敷跡虎口.JPG
中川但見(家老)屋敷入口跡
中川但見は中川氏の太祖中川清秀に仕えた老職で、第二代で戸伏氏から中川姓を名乗り、代々老職に就いています。

岡城中川但見屋敷跡石垣.JPG
中川但見屋敷石垣

岡城中川但見屋敷跡.JPG
中川但馬屋敷跡
中川秀成が築城に着手した時、本丸完成までの間はここを仮屋敷としていたそうです。


中川但見屋敷の隣には、通路を挟んで城代の屋敷があったようで、石垣の跡が残っていました。
岡城城代屋敷跡石垣.JPG
城代屋敷跡石垣(右側)

岡城城代屋敷跡.JPG
城代屋敷跡

岡城では建物こそ残っていませんが、石垣がよく残っているため、当時の城郭の姿も全く想像に難くありません。
(大げさかもしれませんが、イタリアのポンペイ遺跡を訪れた時と同じ印象です)

この後はいよいよ丸の内、三の丸から本丸を目指して行きました。





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最終更新日  2017/07/07 09:50:22 PM
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