|
テーマ:城跡めぐり(1258)
秋田を訪れるのは実に10年ぶりで、まず向かった先は佐竹氏の本拠地、久保田城です。
久保田城跡は千秋公園として整備され、公園の入口には水堀が残っています。 城跡碑と「穴門の堀」 現在の千秋公園では、かつての中土橋を通って城内に入るようになっています 中土橋から見た「大手門の堀」 かつての大手門は向こう側の東の方にありました。 かつての三の丸、千秋公園入口から続く中土橋通り 二の丸の内堀「穴門堀」跡 かつての三の丸から二の丸への登城は、唐金橋門と松下門を通ったようです。 久保田城の復元模型より 現在のメインである中土橋通りからの登城ルートは大手筋ではなかったものの、割とよく利用されていたそうです。 かつての二の丸虎口「松下門」跡 松下門周囲の土塁は、初代佐竹義宣が自ら手掛けた自慢の縄張だったそうです。 久保田城は江戸時代に入ってから築かれましたが、石垣を使わない総土塁の城郭です。 ちなみに、佐竹義宣が秋田移封まで本拠地にしていた水戸城も総土塁の城郭でした。 東国らしく石垣よりも土塁に絶対的な自信があったのかも知れません。 二の丸虎口の土塁 久保田城の案内図 二の丸跡は公園広場となっており、遊歩道などもあったりして、散策できるほどの広さがあります。 二の丸跡 二の丸から本丸へは、「表門」と「裏門」の2か所の虎口がありました。 表門「二の門」の「長坂門」跡 桝形虎口の跡が残っています。 表門「一の門」の虎口には、櫓門が復元されていました。 表門「一の門」 表門「一の門」の脇には、御物頭御番所が現存しています。 「二の門」の「長坂門」の開閉及び城下一帯の警備を担当した「御物頭」の番所で、城内では唯一現存する建造物です。 二の丸から本丸へ通じるもう一方の虎口は、「裏門」と呼ばれていました。 裏門跡 現在の裏門跡には礎石が残るだけですが、秋田市内の「鱗勝院」には裏門が移築現存していました。 裏門礎石跡 鱗勝院山門 久保田城の裏門は楼門形式で、現在の麟勝院の山門は薬医門形式になっていますが、建材は当時のままだそうです。 復元模型による裏門付近 左側には御物頭番所と表門一の門があります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/07/21 05:18:46 PM
コメント(0) | コメントを書く
[城跡と史跡(青森・秋田・山形・宮城・福島編)] カテゴリの最新記事
|