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テーマ:城跡めぐり(1254)
関ヶ原の後、常陸水戸から移封となった佐竹義宣が、秋田で最初に居城としたのが湊城でした。
現在の湊城跡は、土崎神明社の境内となっています。 ブログつながりのTraveler Kazuさんの記事によると、毎年7月20・21日にはユネスコの無形文化遺産にも登録された土崎港曳山まつりが行われるそうです。 土崎神明社社殿 私が訪れたのは7月の上旬のことで、残念ながら曳山まつりには早すぎたようです。 湊城の遺構はないものかと境内を見まわしましたが、城跡らしきものは見つかりませんでした。 土崎神明社の隣にある児童公園に行ってみましたが、やはり城郭の遺構らしき跡を見つけることはできませんでした。 佐竹氏が入城する前に湊城を居城としていた安東氏の顕彰碑 土塁の跡かも知れませんが、確証はありません。 子供たちが楽しそうに遊ぶ児童公園には、D51型蒸気機関車が静態保存されていました。 残念ながらプレートは外されているものの、四輪動輪の峠の王者、間違いなく「デゴイチ」です。 C62やC57などの「都会派」と違ったズングリしたフォルムで、現役時代のこのデゴイチも力強いドラフト音で峠を駆け抜けていったことでしょう。 湊城の話に戻ると、この辺りは安東氏の拠点ではあったようですが、築城の時期や規模についての詳細はわかっていません。 関ヶ原の後に佐竹義宣が常陸一国から移封されるにあたり、久保田城を築城するまでの間、この湊城を本拠地としていたのは間違いなさそうです。 それにしても常陸国といえば現在の茨城県全域で、そこから移って来るとなると、相当手狭だったのではないかと思われます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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