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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(岡山・広島編)
この日も相変わらずの弾丸日帰りで、始発便で岡山空港に着いた後は、最終便で羽田空港に帰るという予定でした。
それでも備中松山城・岡山城・後楽園と回った後、結構な時間が余ってしまったので、オプションを発動することにしました。 瀬戸中央自動車道を児島ICで下り、向かった先は瀬戸内海に面する倉敷市下津井です。 下津井瀬戸大橋 下津井港を見下ろす稜線上に下津井城があり、宇喜多秀家によって築城された近世城郭です。 中出丸の石垣 縄張は連郭式で、本丸・二の丸・三の丸が稜線上に並び配され、中出丸の曲輪が独立したとうな格好になっていました。 中出丸の曲輪跡 物見台の役目があったのかも知れません。 中出丸から海の方を望むと、眼下の下津井漁港の先に塩飽諸島の瀬戸内海が広がっていました。 中出丸からは眺望が良く、振り返ると鷲羽山ハイランドが間近にありました。 中出丸と三の丸の間には、堀切と思われる跡が見られました。 堀切跡だと思うのですが、中世の戦国城郭のような感じです。 三の丸の曲輪 二の丸の曲輪 二の丸に立ってみると、目の前には塩飽諸島の瀬戸内海が広がっていました。 これが瀬戸内海の多島美で、島々に隠れて水平線が見えません。 そして瀬戸内特有の夕凪のため、時が止まったように水面も穏やかでした。 二の丸からさらに一段高い場所に登城道が続いており、その先に本丸の曲輪があります。 本丸 本丸の城跡碑 本丸には、天守台の跡も残っていました。 天守台跡 天守が建っていたかどうかはわかりませんが、さぞかし眺めがよかったことでしょう。 下津井城は慶長時代初期(1590年代後半)に、宇喜多秀家によって築城されました。 その後は岡山城の城主と共に、下津井城の城主も宇喜多秀家から小早川秀秋に代わっています。 1603年に池田忠雄の岡山城入部により、下津井城の城郭も整備されましたが、1639年の一国一城令により廃城となりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/02/13 01:29:05 PM
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