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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(沖縄編)
守礼門から正殿に至るルートはもう1つあって、久慶門から入るルートがそのルートになります。
(首里城の見学コースとしては帰路になるため、最後に久慶門を出る格好になります) 久慶門 かつては通用門としての役割があり、主に女性が利用していたそうです。 久慶門(城内から見たところ) 久慶門から右掖門へ至る間には「寄内ノ御嶽」があります。 寄内ノ御嶽 御嶽(うたき)は聖地や拝所のことで、信仰や祭祀の場所です。 首里城に限らず、琉球の城(グスク)では随所に見ることができ、首里城では「寄内ノ御嶽」と呼ばれる場所が2か所ありましたが、いずれも場所は確認できていません。 右掖門が「寄内御門」とも呼ばれていたことから、北東城郭の内側が「寄内」と考えられています。 その右掖門の入口までは、これまでと違って長い坂道が続いていました。 右掖門 坂の途中で城壁の石積みは変わっており、布積み(手前)から相方積み(奥)に代わっています。 日本城郭でいうならば最も進化した「切込み接ぎ」になるのでしょうが、ここまでの技術は五稜郭など一部の城郭でしか見たことがありません。 右掖門(城内から見たところ) 右掖門の先にある淑順門が、国王やその家族が暮らす御内原(おうちばら)と呼ばれる場所への表門です。 淑順門 現在の見学ルートでは正殿のある「御庭(うなー)」からの出口になっていますが、かつてはここが「御庭」への入口でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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