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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(沖縄編)
識名園は琉球王朝の庭園であり、中国からの使節である「冊封使」などを接待した場所でもありました。
識名園入口 日本庭園は数多く見てきましたが、琉球庭園とはどのようなものか、非常に興味があります。 中に入って見ると、まずは番屋が現れました。 一瞬、台南市の徳記洋行の旧倉庫「安平樹屋」を思い出してしまいました。 番屋の先にある通用門 ガジュマルなどの亜熱帯植物が雑然と生い茂っている感じですが、これにも意味があるようです。 視界を遮ることにより、外界から切り離された空間を演出しているそうです。 沖縄の県花「デイゴ」 かつての正門 一見すると本土の薬医門形式ですが、琉球瓦の屋根に、本土にはない石積みがあります。 正門から続く石畳の通路 ガジュマルのトンネルを通っていると、まるで別世界にいるようです。 樹林帯を抜けて視界が開けた時、目の前に現れたのは、日本庭園でもよく見る「池泉回遊式庭園」でした。 それでもよく見ると、琉球と中華が入り混じっています。 石橋 中国の使者である「冊封使」を接待した庭園とあって、中華のテイストにあふれています。 六角堂 こちらも和風ではなく、中華風でしょうか。 池の水源となっているのが「育徳泉」で、こちらはグスクと同じく琉球石灰岩の石積みで造られていました。 育徳泉 育徳泉からは、やはり琉球石灰岩の石畳が続いていました。 そして石畳の先には、本土の大名庭園でもよく見かける御殿があります。 御殿 琉球瓦の書院造です 琉球では御殿と書いて、「うどぅん」と読みます。 識名園の創建時期は明らかではありませんが、18世紀の終わり頃の第二尚氏王朝の時代だとされています。 中国と琉球の文化が混じった様式には、中国皇帝からの使者をもてなす目的であったことがよく見てとれました。 「勧耕台」と呼ばれる展望台 沖縄の高台にしては珍しく、ここからは海を見ることができません。 これも中国大陸を意識していたとされています。 太平洋戦争の沖縄戦で破壊されたものの、1975年から20年をかけて復元されました。 そして2000年12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、ユネスコの世界遺産に登録されています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/12/19 10:15:39 PM
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