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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(沖縄編)
加藤清正や藤堂高虎など、16世紀の戦国時代には築城の名手、特に石垣造りの名手がいました。
それから遡ること約1世紀、琉球にも護佐丸という築城の名手がおり、その護佐丸によって築城されたのが座喜味城です。 座喜味城の城跡碑 座喜味城は二の郭と主郭の2つの曲輪を持つ縄張となっており、それぞれの曲輪が城壁で囲まれていました。 石積みも布積み(日本城郭では「切込み接ぎ」)が見られ、築城技術の高さがうかがえます。 二の郭の門 琉球の城(グスク)の特徴でもあるアーチ型の門で、琉球の城の中でも最も古いアーチ門とされています。 二の郭の城壁(内側から見たところ) 座喜味城は結婚式の撮影スポットともなっているようで、この日も二の郭で新郎新婦の撮影が行われていました。 主郭から見た二の郭の全景 主郭は一段高い場所にあり、アーチ門には石段が付いていました。 主郭のアーチ門 主郭全景(内側から見たところ) 主郭の城壁は、一部登って見学することもできました。 曲線の城壁とそこから望む太平洋が、グスクの特権でしょうか。 座喜味城は15世紀の初め、築城の名手として知られる護佐丸によって築城されたと言われています。 中山王である尚巴志が、1416年に北山の今帰仁城を攻略した時、護佐丸も中山の連合軍として今帰仁城攻略戦に参戦していました。 護佐丸が戦後処理のために今帰仁城(北山)に留まっている時、築城されたのが座喜味城です。 特に座喜味城のアーチ門は、現存の他のグスクには見られない技法であることから、現存する最古のアーチ門だと言われています。 太平洋戦争では、城内に日本軍の高射砲陣地が置かれ、戦後もアメリカ軍のレーダー基地が置かれていました。 沖縄返還後に復元事業が始まり、1982年に復元事業が完了しています。 そして2000年12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。 日本城郭協会「続日本100名城」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/01/01 11:56:56 AM
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