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テーマ:城跡めぐり(1254)
カテゴリ:城跡と史跡(沖縄編)
名護湾を見下ろす標高107mの山頂部に名護城(ナングスク)があります。
名護城の城跡は神社の境内になっているらしく、両脇に石灯篭が並ぶ500段ほどの階段を、延々と登って行きました。 そしてその長い階段の先にあったのが、普通に神社の拝殿です。 名護神社拝殿 琉球信仰の御嶽(うたー)ではなく、まぎれもなく神道の神社です。 それでも屋根は沖縄赤瓦で、不思議なものを見ている気がしました。 これまで登ってきた階段を振り返ると、名護湾が一望できました。 今回のグスク巡りで共通していることは、必ず海の見える場所にあるということです。 このことから、グスクは交易の拠点でもあったと確信しました。 拝殿の先に道がついており、さらにその先に行ってみることにしました。 さらに石段が山頂部に続いており、途中には曲輪と思われる削平地があります。 「グスク=石垣」と考えていると、うっかり見落としてしまいそうした。 斜面に沿って曲輪の跡がいくつかあり、こちらには琉球の信仰である拝所などもありました。 (撮影はしていません) そして石段を登り切った先には、本丸と思われる削平地があります。 名護城には、グスク特有の琉球石灰岩の石垣が全くありません。 土塁で造られた単郭城郭には、本土でいう鎌倉時代の中世城郭のような印象すらあります。 本丸の背後には日本城郭の堀切の跡はあったものの、戦闘拠点としては全く手薄な感じがしました。 このことからも、本来のグスクの目的は本土と違い、単なる戦闘拠点ではなかったように思います。 名護城の築城は14世紀の初めとされ、まさに鎌倉時代の築城です。 築城主は北山城(今帰仁城)の名護按司で、中山尚巴志が琉球を統一してからは、名護按司が首里に引き揚げたため、以後は名護の住民がそれぞれ暮らしていました。 以来、名護の人たちの信仰の地となっていましたが、昭和3年に現在の神社が建立されたそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/01/11 06:26:55 AM
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