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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(沖縄編)
勝連城の一の曲輪(本丸)では一段と高い石垣が積まれており、これだけでも見ごたえ十分でした。
布積み(日本城郭の打込み接ぎ)と相方積み(切込み接ぎ)が混じっており、途中で改修されたのかも知れません。 それにしてもグスクの石垣技術の高さにはつくづく感服しますが、隅石の曲線はグスクならではでしょうか。 (日本城郭では、隅石を算木積みで積み、角張っているのが特徴です) 一の曲輪へ続く石段 上に行くほど狭くなっているのが、防御上の工夫です。 一の曲輪(本丸) 一の曲輪にも御嶽があり、「玉ノミウヂ御嶽」の名前が付いていました。 大きな霊石をご神体とする御嶽で、発掘調査では宝物殿の跡が確認されたそうです。 また、二の曲輪のウシヌジガマと繋がっており、勝連城の落城の時はここが避難路となったと伝えられています。 一の曲輪から振り返ると、勝連城の全景がよく見渡せました。 勝連城の築城時期は明らかではありませんが、すでに13世紀にはここにグスクがあったとされています。 15世紀の琉球王国の統一の中で、国王に最期まで抵抗した有力按司が「阿麻和利」で、1458年に琉球王によって滅ぼされるまで、勝連城を本拠地としていました。 阿麻和利は北谷の農民出身で、幼少の頃は体が弱く、山に捨てられたと言われています。 それでも聡明なために出世し、人々から慕われるとと共に、海外貿易によって勝連を発展させてきました。 勝連城を訪れてみると、その築城の中に才知を見ることができました。 交易と軍事に長けた阿麻和利の才能がわかるような気がします。 ユネスコ世界遺産(文化遺産)「琉球王国のグスク及び関連遺産群」 日本城郭協会「続日本100名城」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/01/08 06:06:32 PM
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