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カテゴリ:山登りと山歩き
京急金沢文庫駅には六国峠ハイキングコースの案内板があり、よく見てみると金沢文庫から六国峠(鎌倉天園)までハイキング道が続いているようでした。
六国峠は何度か訪れたことがあるのですが、いずれも鎌倉建長寺からのアプローチだったので、改めて金沢文庫から行ってみることにしました。 京急本線金沢文庫駅からJR横須賀線鎌倉駅まで、三浦半島をほぼ横断する約15kmの道のりです。 金沢文庫駅から住宅地の中を抜け、住宅地のすぐ横にハイキングコースの入口がありました。 ハイキングコースは能見堂緑地の中を通り、かつて東海道保土ヶ谷宿から江戸へ続いていた「保土ヶ谷道」(江戸方面からの呼び名は「金沢道」)を踏襲しています。 保土ヶ谷道の旧街道 能見堂は、寛文年間(1661年~1673年)に建てられた寺院で、地頭の久世大和守広之が、芝増上寺の地蔵院を移して再建したそうです。 その能見堂の跡には、古い石碑がいくつか建っていました。 左から武蔵国金澤碑(1778年建立)、江耆楼美山句碑(1812年建立)、一方句碑(建立年不明) 現地の案内板によると、17世紀の頃は海岸線が近くまで入り込んでおり、ここからは房総半島・江戸湾・平潟湾・三浦半島・富士山が見渡せたそうです。 江戸時代の元禄の頃、心越禅師が能見堂を訪れた時、ここからの眺めが故郷中国の瀟湘八景に似ていたことから、「小泉夜雨・称名晩鐘・乙艫帰帆・洲崎晴嵐・瀬戸秋月・平潟落雁・野島夕照・内川暮雪」の八景の漢詩を詠みました。 そして心越禅師のこの漢詩が「金沢八景」の由来となっています。 能見堂の跡には、「金澤八景根元地」の碑が建っていました。 金澤八景根元地碑 享和三年(1803年)と書かれており、裏には人の名前がたくさん書かれていました。 現地の案内板には、嘉永6年(1853年)に歌川広重が描いた能見堂からの風景画と、明治時代の古写真が記載されていました。 歌川広重「金沢八景」 明治時代の風景写真 そして現在の能見堂からの景色です。 少しアングルが違ったようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/03/19 09:04:36 AM
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