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テーマ:城跡めぐり(1254)
カテゴリ:城跡と史跡(山梨・長野編)
日本100名城の選定では「1都道府県から最大5城以内」の基準があって、1つの県からは最大5城までしか選ばれません。
それでも数々の名城がひしめく長野県からは、その最大の5城が選ばれ、高遠城は見事「日本100名城」に当選しました。 長野県からは他に松本城・上田城・小諸城・松代城(海津城)の計5城が100名城に選ばれています。 そんな名城の激戦区から選ばれた高遠城は、戦国時代は甲斐武田氏の重要な拠点であり、実戦経験もある名城です。 現地にある縄張図を見ると、本丸・二の丸・三の丸が悌郭式に配され、さらには勘助曲輪・南曲輪・法幢院曲輪が本丸を囲っています。 現地の縄張図 かつての高遠城には本丸・二の丸・三の丸と搦手に櫓門が建っていたそうですが、いずれも民間や寺院に払い下げられたそうです。 勘助曲輪のあったところ、駐車場の外れの目立たない所には、移築大手門と伝えられる門が建っていました。 かつてここに高遠高校があった時、高校の正門として使われていたようですが、この門を見る限りではとても大手の櫓門には見えません。 その勘助曲輪と武家屋敷の跡は高遠高校の時代にはグランドとして使われており、現在は駐車場として使われていました。 勘助曲輪の跡 勘助曲輪の名称は、武田信玄の命によって縄張を行った山本勘助に由来しています。 それにしてもこの広大な駐車場に、この時は車が3台しか停まっていませんでした。 高遠城はさくらの名所としても有名で、「日本100名城」だけでなく、「さくらの名所100選」にも選ばれています。 さくらの名所100選の碑 毎年4月に開催される「高遠さくら祭り」では、約20万の人が見物に訪れるとのことです。 城内に植えられた1,500本のタカトオコヒガンザクラは「天下第一の桜」と呼ばれ、城址公園が一面桜の色に染まるようです。 二の丸に建つ「天下第一の桜」の碑 もちろん桜の季節はとっくに終わっているので、大きな桜の葉で一面が緑色に染まっていました。 この季節(7月)は、花見もさることながら、戦国城郭にも相応しくない季節です。 城郭の遺構が木々草に覆われて、縄張などが非常にわかりづらくなってきます。 二の丸の周囲には土塁や堀切などの遺構が確認できたのですが、草木に覆われて判然としませんでした。 二の丸の土塁 南曲輪と法幢院曲輪の間には白兎橋と呼ばれる橋が架かっていたので、堀切でもあるかと思って、橋から下を見てみました。 白兎橋 南曲輪と法幢院曲輪の間の堀切 画像にすると何だかよくわかりませんが、確かに堀切の跡があります。 草木が落葉する晩秋から早春にかけてだと、遺構もはっきりわかると思います。 高遠城は平山城ですが、これが戦国期の山城となると、草木に覆われて縄張が判然としない上に、天敵であるオオスズメバチや大の苦手の爬虫類がいるので非常にやっかいです。 さらには昨年の夏、会津若松の小田山城を訪れた時は、ついにツキノワグマにも遭遇しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/08/06 03:37:47 PM
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