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テーマ:城跡めぐり(1254)
カテゴリ:城跡と史跡(山梨・長野編)
二の丸を出て本丸に向かうと、曲輪と曲輪の間には堀切跡があって、橋が架かっていました。
この橋は桜雲(おううん)橋と名付けられており、橋を渡った先の虎口には、門が建っていました。 「問屋門」と名付けられており、江戸時代の高遠城下町の問屋役所にあった門です。 昭和20年代の取り壊しの際に売却される予定でしたが、町の有志によって買い戻され、本丸虎口に移築されたそうです。 問屋門から本丸に入ると、門の先に石垣が続いていましたが、高遠城の遺構かどうかはわかりませんでした。 。 本丸にも桜の木々が数多く立っていますが、今となっては大きな葉が青々と繁っていました。 本丸 春は桜並木なのでしょうが、もはやこの季節だと亜熱帯林です。 本丸の北西側に足を運ぶと、新城藤原神社が祀られていました。 織田信忠の大軍を迎え撃ち、壮絶な籠城戦で最期を遂げた高遠城主仁科盛信(武田信玄の五男)の霊を、1831年に高遠藩第7代藩主内藤頼寧が「新城神」として合祀した神社です。 元々は内藤家の祖神である藤原鎌足が祀った「藤原神社」が建っていたため、合祀によって「新城藤原神社」となったそうです。 そして本丸の南西側に建っているのが太鼓櫓で、1877年(明治10年頃)に移築された後、1943年(昭和18年)まで、太鼓を打って時を知らせていました。 太鼓櫓 江戸時代には搦手門のそばにあって、やはり太鼓を打って時を知らせていましたが、廃城の時に別の場所に新設され、1877年にここに移築されたものです。 本丸の西側は眺望が開けていて、はるか空の方に目を向けると、所々に残雪を頂く中央アルプスの山並みを眺めることができました。 黄色の枠の部分、方角からして木曽駒ケ岳の千畳敷カールと宝剣岳だと思います。 あとで山頂部分を拡大してみると、やはり見覚えのある光景でした。 高度が100m上がるごとに気温は0.6℃~0.7℃下がるため、標高2,955mの木曽駒では地上と比べて20℃近い気温差があります。 2016年の6月に木曽駒ヶ岳に登ったのですが、その時はすっかりアルペン気分でした。 千畳敷カールと宝剣岳(2016年6月) 木曽駒から見ると、高遠城のある伊那谷がはるか下にあったのを思い出しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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