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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(山梨・長野編)
甲斐源氏武田氏の躑躅ヶ崎館があった武田神社の北方、直線にして約3㎞ほどのところに要害山城があります。
前回要害山城を訪れたのは10年以上前のことですが、その時は登城口にある積翠寺温泉が営業していました。 その温泉施設は閉鎖されており、現在は他の施設となって、登城口には比較的新しい城跡碑が建っていました。 かつての積翠寺温泉 城跡碑 植生に違和感がありますが、実は昨年12月の話です。 現地にある縄張り図 躑躅ヶ崎の館の方は典型的な中世武士の居館であり、周囲に堀をめぐらしただけのシンプルな造りですが、要害山城は防御設備を備えた有事の際の詰め城だったようです。 見えづらいかも知れませんが、山腹に曲輪が幾重にも配されていました。 要害山城の登城道はハイキングコースとしても利用されているようで、地元の家族連れなどが気軽に登っていました。 登城道を登り始めると、物見台や竪堀などの遺構を見ることができました。 物見台跡(?) ハイキングコースにはありがちなスイッチバックですが、物見台の跡にしか見えませんでした。 竪堀跡 藪に覆われていますが、はっきりと残っていました。 登城道を登り始めると、城郭の遺構が見られるようになり、虎口や土塁などが残っていました。 虎口跡 石積みも見られますが、武田氏の時代以降に築かれたものだと思います。 土塁跡 要害山の下の方には「不動曲輪」と名付けられた曲輪がありました。 不動曲輪 この不動尊は江戸時代後期に建立されたもので、不動曲輪の名前もこの武田不動尊に因んでいます。 本丸への登城道から木々の間に目を凝らすと、雪を戴く南アルプスを望むことができました。 繰り返しですが、昨年12月のことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019/08/06 03:08:36 PM
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