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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(山梨・長野編)
「人は城 人は石垣 人は堀」の言葉にあるように、甲斐の国内では築城をしなかったのが武田信玄です。
中世武士の居館を彷彿とさせるシンプルな躑躅ヶ崎館がその本拠地で、躑躅ヶ崎館の前面には重臣たちの館が躑躅ヶ崎を守るように建ち並んでおり、まさに「人は石垣」といったところでしょうか。 その躑躅ヶ崎館の背後にある要害山城は、その名の通り堅固な要塞といった感じで、躑躅ヶ崎館とは異なった戦国山城らしい雰囲気がありました。 虎口跡 虎口には石積みも見られ、武田氏滅亡以後に修復された遺構かも知れません。 曲輪跡 藪に覆われていますが、広く削平されていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019/08/06 03:15:19 PM
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