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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(台湾編)
前回記事から約2か月も空いてしましましたが、台湾旅行の2日目は台南へと向かいました。
行った先はやはり城跡めぐり、在台時代にも訪れたことのある億載金城です。 大手口にあるトンネル状の城門 億載金城は、五稜郭(北海道)・五稜郭(長野)・品川台場(東京)・四稜郭(北海道)などと同じ、いわゆる西洋式城郭です。 億載金城の外堀 この幾何学的な縄張りが西洋式城郭の特徴です。 億載金城は「四稜郭」で、東西南北にそれぞれ稜堡が置かれていました。 億載金城の縄張り図 日本で言うならば、品川台場や未完成ながら四稜郭が一番近いでしょうか。 品川台場では中央部の曲輪に陣屋が置かれていましたが、億載金城では操練場になっていたようです。 操練場跡 億載金城は五稜郭(北海道)のような二重土塁ではなく、一重の土塁で周りを囲んでありました。 土塁の上は歩けるので、北西南東と、麻雀とは逆に回ってみました。 北側稜堡の先端部 稜堡だけ見ると、北海道の五稜郭かと思うほどです。 西側の稜堡先端部 各土塁には大砲が置かれていたようで、その大砲も復元されていました。 北西の土塁上に置かれた大砲 西側の稜堡を過ぎると、さらに大きな大砲と砲台が現れました。 中国語の解説では「阿姆斯脱郎大砲」とあったので、戊辰戦争でも使われたアームストロング砲だと思います。 南側稜堡 内側に「扶堡(中国語)」と呼ばれる土塁があり、このあたりは日本の五稜郭(北海道)によく似ています。 億載金城の築城にあたっては、日本の歴史も大きく関わっています。 1871年に宮古島の漁民が台湾に漂着した時、先住民が漁民を殺害したことに端を発し、1874年に明治政府は台湾出兵を行いました。 この日本の出兵に対し、清国政府が台湾に赴任していた沈葆木貞に命じて築城したのが、億載金城でした。 すなわち、億載金城は対日抗争を想定して築城されたことになります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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