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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(栃木編)
本丸に入って行くと、大手虎口は石垣で固められていました。
吹石門脇石垣 打ち込み接ぎの石垣で、江戸時代に入って築かれたものと思われます。 現在二の丸と呼ばれる曲輪は元々の本丸で、実質的にも本丸の機能を持っていたようです。 本丸虎口 石垣が残っていますが、当時は枡形虎口となっていたそうです。 本丸 本丸からは建物の礎石群や陶磁器などが出土したそうです。 烏山城の縄張りは南北に曲輪が連なる連郭式で、本丸・古本丸・中城曲輪・北城曲輪と連なっており、それぞれの曲輪の間は、堀切や空堀で区切られていました。 本丸と古本丸の間の堀切 当時は土橋が架かっており、その跡が残っています。 古本丸西側の空堀 空堀の先にある削平地は、西城曲輪と思われます。 古本丸 中城曲輪 北城曲輪 北城曲輪から稜線を辿っていくと、小さな削平地がありました。 物見台の跡です。 物見台からは搦め手口の登城道がついており、「十二曲がり」と名付けられています。 十二曲がり 十二曲がりの搦め手道は、七曲がりの大手口へと繋がっており、まさにセオリー通りのお手本のような縄張りでした。 烏山城の築城は室町時代の1417年で、那須与一の一族である沢村五郎資重によって築かれました。 江戸時代以後は烏山藩の藩主の居城となり、1659年には時の藩主である堀親政によって、三の丸に居館が置かれています。 関東の戦国山城には珍しく、石垣が随所に見られますが、江戸時代に入って改修されたものだと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/02/07 04:14:08 PM
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