2012.02.26(日)山元町復興ボランティア活動報告。
先週の金曜から土曜日にかけて夜勤があったのですが、風邪がかなり悪化してしまい、ここ10年では一番酷い状態になりました。(泣)さらに、同僚のご母堂様がお亡くなりになり、お線香を上げに行って、それから、倒れそうになりながら病院へ直行。かなりヤバイ状態で、ボランティアどころではなかったのですが、病院の薬と自分の生命力に賭けて、次の日の朝を迎えます。『少し良くなったか??』ボランティアへ行く事に決めました。今回のボランティアツアーには、20人が参加されて、3人が仙台の方、他の17人が県外から参加との事でした。女性の参加者が多く、半分以上は女性の方で、世代は、若い方から5,60代くらいの方までいろいろな方が参加されておりました。移動時間の間は、添乗員さんが、震災直後から現在までの山元町の状況を報告。防潮堤が津波で破壊されて、次の津波・台風などで浸水の恐れがあり危険という事で、8月まで立入禁止になっていて、9月からようやく本格的な復旧作業に入り、復興がかなり遅れているとの事でした。約5000世帯ほどあった住居が、津波で1200世帯が消失し、1700世帯が全壊・半壊状態で、人が住めない状態だそうです。町に入ると、前は結構な住宅街だったはずと思って所が、土台だけの住居、まばらに残っている住居も建物の形は残っているけど、中には何も無い状態の家、骨組みだけの家等々、言葉に言い表せないほどのかなりの惨状でした。海岸線には防風林が茂っていて、海が見えない状態だったのが、防風林が津波でなぎ倒され、ぽつぽつと残っている程度。周辺には、丘ではなく、未だに処理できない大きい瓦礫の山がまだまだ沢山有りました。今回は、いちご農園の復旧作業の予定でしたが、雪の為、コンディションが悪く、側溝の泥かき作業に変更になりました。そのいちご農園も100件以上あったそうですが、殆どが津波で流されてしまい、7件しか残らなかったそうです。バスで移動中も涙が止まりませんでした。(涙)そして、現場に到着して、側溝の泥かき作業を開始します。添乗員さんも一緒に作業します。雪に埋もれていて、さらに蓋がされていたので、まず、場所を探し出すのに苦労しました。スコップで泥をすくって土嚢袋に入れる単純作業なのですが、体力勝負の土工作業で、かなりタフな作業になりました。午前と午後合わせて4時間程度の作業でしたが、お昼休みには、汗でびっしょりになり、Tシャツから長袖までびしょびしょになって、着替えなければならないほどでした。雪が降ってくる気温0度前後でこの状態になったので、真夏の作業は、相当タフだったと思います。皆さん、慣れない作業だったと思うのですが、黙々と真剣に作業されている姿に、心打たれました。ちょっとお話をした東京の女性の方は、今回で6回目の参加との事、私の座席の隣の男性は、神奈川県からだそうで、今回初めて参加されたそうです。遠くから本当にありがたいかぎりです。最盛期には、1日1000人のボランティアさんが活動していたそうですが、現在は、平日40人、休日100人程度とのこと。広大な農地の復旧作業などを考えると、まだまだ人員が足りないなと思いました。でも、ボランティアさんの力のお陰で、ポツンとではありますが、真新しいいちごの温室ハウス農園が少しずつでも復興している姿を見て、『絶対に山元町は復興する!!』と確信しました。お土産に、震災から何とか復興を遂げたいちご農園さんの復興いちごを購入。『甘くて美味しい~♪』全国屈指のいちご王国の復活を祈りたいと思います。バスのシーズンインまで、まだまだ時間があるので、何とか時間を作って、復興の力になりたいと思っています。