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かなり前から気になっていたのですが、通勤途上の大郷町のちょっとした峠道に支倉常長さんのお墓があり、立ち寄って見る事にしました♪
支倉常長メモリアルパーク 駐車場に車を停めて、パーク内に入ると?? ど~ん!!と立派な 支倉常長さんの立像 が立っておりました♪ 中へ進むと 案内板があり、 支倉常長の立像が、ここ大郷町の他に、仙台城二の丸、石巻月浦にあり、海内では、メキシコ、スペイン、イタリア、キューバにもあるとの事。 仙台藩主伊達政宗の命を受け、通商交渉の為、慶長遣欧使節団大使として、日本人で初めて、太平洋・大西洋を横断そた支倉常長。スペイン国王やローマ教皇との謁見など日本外交史に大きな功績を残しましたが、徳川幕府のキリシタン弾圧によって、この事実は闇に葬られました。大郷町では、常長帰国後、世の中との接触を避けて、この地に隠棲し、84歳の天寿を全うしたと語り継がれて来ました。政宗は、苦難を乗り越え帰国した功臣である常長を幕府から守ろうという思いは当然あったものと推測され、常長が謎のまま生涯を終えなければならない理由がここにあったと伝えられています。 その謎??のお墓はどこにあるのかな??と思い、メモリアル道を 先に進んで行くと 階段を登った先には、まず、 この山の初代知行主である支倉常長の義理の弟の 支倉常次さん墓 がありました。 さらに進んで行くとまた階段が出て来て 登り切ると 支倉常長さんの墓 がありました。 何でこんなひっそりとした山の中に...。 と思ったのですが、実際は、近くに政宗の家来大松沢元実、政宗のおじさん留守政景、政宗の三男宗清が住んでいたそうで、しっかりと見守られていたとの説もあるとか?? その横には 謎??のお地蔵さんがありました。 川崎町にも支倉常長さんのお墓があるのですが、こちらのお墓は、幕府の目を欺く為、常長さんを死んだ事にして、立派なお墓を立てたのでは??という説もあります。 何れにしても、帰国後は、不遇な時を過ごしたのは間違い無い事なので、その時を思うとかなり切なくなってしまいますね。(涙) ひょんなことから支倉常長さんのお墓に行く事になったのですが、縁の地などを訪問しながら、常長さんの功績をお伝えできればと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.08.19 22:25:08
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