|
カテゴリ:海外遠征
初めての海外遠征は今から12年前の94年のブラックプールでした。その年は第一回のフランスでのシニア世界選手権にも行きましたが、まだそのころは我々も30代で毎日のように練習をしていて元気いっぱいでした。しかしさすがに半世紀の年齢になると若さとスピードでは世界の中ではかなかなかなわないようです。でもそのとき出場していた連中がまだまだ元気いっぱいで、シニア2のカテゴリーにでていたのには気を強くしました。
遠征報告はJDSFのWEBにあります。 今回の遠征での最大のトピックは帰りのフライトでした。競技会の翌日ブリュッセル空港に行くとゲートではなにやら人だかりで騒がしい様子。なんとベルギーからアムステルダムまでの飛行機が夕方まで飛びません、とカウンターの金髪のお嬢さんが言うのです。明日のフライトになってしまい1日遅れてしまい奥様は明日の仕事に絶対穴があけられず困ると騒ぎます。 それで、カウンターで交渉すると、とにかく今からロンドンまで飛べと言われました。いったんゲートをでて荷物を引き取り空港の外のBAのカウンターに行くと、ここではだめなのでエールフランスのカウンターに行けと言われます。そこでエールフランスのカウンターに行けばなんと長蛇の列。二時間並んでやっとのこと代替ルートの調整を受けましたが、その行程は今から列車でパリまで行ってそこから北京行きの飛行機に乗るというなんともはやハードな行程でした。今日中に帰るにはそれしかありまえせんとにべもありません。 さてそれからがたいへん。列車の出発時間が迫っているので焦りまくり。ベルギー空港からベルギー駅まで行き、そこでエールフランスのカウンターを探すのですが、いったいどこにあるやらわかりません。大きな荷物を抱えながら走りまくり、やっと探し当てますが、またそこでも待たされ列車のチケットをようやく受け取りました。しかしパリ空港までの直通列車のホームがまたどこにあるかわからず、走りまくってようやく飛び乗り、やっとのことシャルルドゴールにたどり着きました。北京行きのエールフランスに乗れたときはほんとうにほっとしました。 北京からANAの飛行機で関空に到着したのは12時間遅れの夜の8時。まったく今回ほど心細かったことは初めてで海外遠征は何が起こるかわかりません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.09.29 15:25:20
コメント(0) | コメントを書く |