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カテゴリ:ALS闘病記
先日の「ALS患者の女性の安楽死」事件。
何の法律も無い中で、勝手な判断で幇助してしまった医師達には確かに問題はあるけれど。 じゃあ、「呼吸器を着けたら外せない…」という法律には問題はないのだろうか? 私が発病したのは今から約11年程前で、息子は当時まだ小学校3年生で8歳だった。 これからまだまだ手が掛かるし、もっと成長を見守りたい…。 でも人一倍過敏症の私は自分の身体を他人に触られるのが嫌で、寝たまま入浴が出来る「機械浴も出来るよ。」と検査入院中に看護師さんから言われただけで、号泣してしまう程。 今となっては笑い話だけど、その時は本当に真っ先に感じた絶望感。 その後の「身体が少しずつ動かなくなる」「呼吸器&声を失う」「排泄(オムツ)」「体位交換」…等々、着々と、でも確実に自分の身に起こってくるだろうことを思うとそれらに耐えられる自信がなくて、最初は呼吸器を着けることを諦めていた。 でもね、一番の理想は「取り敢えずお試しで呼吸器着けて、息子の成長を自分自身で納得できるまで見届けられて、まだそのまま生きてきていたかったらそのままで、もう辛くて辛くて我慢出来なかったらいつでも外して貰える。」というものだった。 だって呼吸器をつけたり話せなかったり、身体が動かない状態がどれ程辛いか…なんてなってみないと分からないし。 まして私の様に合併症や原因不明の痛みが出ることだってある…なんて知らないし。 やってみて、初めて分かることだって沢山あると思う。 逆を言えば、着けるのが恐くて諦めて行った人でも、もしかしたら「やっぱり呼吸器着けて良かった!」って思える人だって沢山いたかもしれない。 実際に私の場合、今でこそ落ち着いたけど、当初からの痙攣の発作は本当に辛くて、痙攣が原因のあちこちの痛みや心臓の合併症まで出るなんて想像もしていなかったし。 訪問入浴には慣れなくてはいけなかったけど、ヘルパーさんの手を借りればトイレには行けるくらい今は進行も止まっている。 (でも、今でも訪問入浴に知らないスタッフの方ばかりだと、自律神経熱という高熱が出てしまう。) 私はたまたま本当に恵まれていて、呼吸器着けてもすぐに声が出て話せるようになったし。 リハビリして、昼間起きている間くらいは呼吸器を外せる様にもなれたし、想像していたよりも良いこともあった。 でもそれは会社を起こしたりマイヘルパーに恵まれたりして、生きていく目標が次々と出来ているから…だと思う。 でも残念だけど、全員が同じ様に上手く行くとは限らない…と…も思う。 「辛くて辛くて死にたい」…って、本当は私だって最初は同じこと何度も考えたし。 彼女が弱い訳でも、「負け犬」なんかじゃないし。 周りの人達の力不足でも何でもないのだ。 どんなに励ましたり、前向きになるように手助けをしても、「身体が動けない」のも「自力で呼吸ができない」のも「痛い」のも「辛い気持ち」も、誰も代わってあげられないのだから。 私も同病の大切で大好きな友人を、バイパップ(鼻マスクの呼吸器)までで見送った。 本当に悲しくて辛かったけど、一番辛かったのは彼女だから。 そして、本当に彼女は最後まで諦めずに頑張っていた。 私は彼女の決めたことを尊重し、「最後までよく頑張ったね…」と労う気持ちでいっぱいだ。 だから、呼吸器を着けないことを選ぶ人や、途中でギブアップしてしまう人のことをまるで「負け犬」のように言って欲しくない。 だって…、皆んなそれぞれの命を精一杯頑張って生きたのだから…。 タケコ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 5, 2020 04:15:43 AM
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