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彼を初めて見たのは1968年6月、大阪フェスティバルホールでのソビエト国立交響楽団のソリストとして来日した際である。
このとき、彼は17歳か18歳であったのだが、2日続けてチャイコフスキーの協奏曲1番を弾いたのである。指揮者は1日目がマキシム・ショスタコーヴィチ、2日目がエフゲニー・スヴェトラーノフであった。 たけみは当時まだ小学校3年生であったのだが、実はこの2日間こそが、たけみがこの協奏曲を絶対に弾きたくない筆頭の曲であることを認識した日であったのだ。 それは、ソコロフのピアノが駄目だったのではなく、たけみにはピアニストが同一人物でありながら、二人の個性豊かな指揮者との共演の結果として、結果的に同じ曲に聴こえない、あるいは同じピアニストに聴こえない・・・そんな実感を持ったからなのである。あまりにも、指揮者やオケに支配されてしまう、かつ、ピアニスティックな難曲と言う、一見矛盾した感想を同時に持ったのである。今なお当時の感想は、結論において、現時点でもたけみの支配的な感想である。 つぎに彼を聴いたのは1991年になってからである。なぜかまたも曲はチャイコフスキーの1番であった。オケはレニングラードフィル(直後にサンクトペテルブルクフィルに改称)であった。指揮者は忘れてしまったが、ムラヴィンスキーの支配下にあった時代が永かったこのオケもまた、崩壊したソ連そのものであったことを思い出す。 このときのソコロフは、すでにでっぷりと太っていたが、ピアノの音は凡そ無神経に一見見える風体とは正反対の、デリケートな、しかし大層暗い音色であったように思う。そして、チャイコフスキーの、またロシアの暗い地理上の、歴史上の、そんな側面を感じさせてくれた演奏であった。 その後の彼は、フランスのマイナーレーベルから、続々と、しかし、一方でとても暗い音色の渋さ満点のCDをリリースし続けた。これらの一連のCDは今も入手可能である。曲目だけを、ここで陳列しておこうと思う。 1.バッハ《フーガの技法&パルティータ2番》(2枚組) 2.ベートーヴェン《ソナタ4番&28番》《ロンド作品51-1、2、失われた小銭への怒りのカプリッチョ》 3.ベートーヴェン《ディアベッリのワルツの主題による33の変奏曲》 4.シューベルト《ソナタ18番&21番》(2枚組) 5.ショパン《ソナタ2番&練習曲作品25》 6.ショパン《24の前奏曲》 7.ブラームス《バラード作品10&ソナタ3番》 8.スクリャービン《ソナタ3番&9番》、プロコフィエフ《ソナタ8番》、ラフマニノフ《前奏曲作品23-4》 以上の10枚である。すべて80年代から90年代の録音であり、音質は聴き易いが、演奏に付き合うには結構根性がいる。それは、曲目一覧をご覧になれば一目瞭然であろうと思う。 たけみは、彼について現在このように思う。彼は旧ソ連と運命をともにしかかって、かろうじて救出された人物であろう、と・・・ しかし、彼は体型がどんなに老けたでっぷりしたおじさん化しようとも、彼の音楽そのものは、旧ソ連ではなしえなかった自由度を高めているのだと、そんな風に信じている。そして、それは、真剣に復帰を目指しているたけみに似つかわしい、ある方向からは理想のピアニストの一人でもある。 彼の見かけとは少々異なる、とても内省的な演奏に心惹かれながら、一方でもう少し華やかな演奏も残したいと念願するたけみには、一方から見つめた理想像であるが、他方からは理想としたくない、そんなピアニストであるのだ。 界隈で、ほんの少々話題に出されたことに便乗したが、本当に旧ソ連には大量の優れたピアニストがいるものだと感心し、痛感し、そして少しだけ呆れている。 この国家が無くなったことは、果たして本当に良かったのであろうか? そんな風にもたまに思うこのごろである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年09月06日 21時46分22秒
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