2140577 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

タケノコmaxのパソコンでオーディオ

タケノコmaxのパソコンでオーディオ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2011年08月10日
XML
カテゴリ:テレビ番組・映画


パイロット版のルー大柴の回を見て以来,気がついた時には見ているNHKの「ファミリーヒストリー」。Wikipediaに去年までの放送回が書いてあるが,ゲストの祖父母の代の家族史を紹介するというその趣向から,お盆に帰省して自分のルーツを振り返る機会の多いこの時期に放送されることが多いようだ。今年の夏は8月3日(水)浅野忠信,8月10日(水)竹下景子,8月17日(水)勝野洋というラインナップで,それぞれ午後10時~10時48分に放送。

見逃した回も多い「ファミリーヒストリー」だが,私の見た中では,初回よりも心を動かされるものはなかったような気がする。それぞれルー大柴の回のように壮絶な歴史が語られるのだが,それを見ているゲストの反応が,彼と比較すると少し冷静に過ぎたり,表面的なもののように感じられてしまう。しかしそれも無理はないのかもしれない。知らなかった自分自身の身内の過去を第三者によって調べ上げられ,それを初めて知る様子を逐一カメラに撮られるという,考えてみればかなり異常な状況に置かれるのだ。取材の過程で,公にしたくない過去を知られたのでは?という不安もあるかもしれないし,どういう反応が今後の自分にとってプラスなのか,迷うこともあるかもしれない。普段のタレントの仕事とは全く違う,自分のプライベートを曝け出さなければならない仕事なのだろう。(ただこちらこちらの感想を読むと,見逃した綾小路きみまろとジョン・カビラの回はおもしろそう。いつか再放送してほしい。)

そんな中で,今回見た浅野忠信の回は,本人と母の自然な表情が心を打った。浅野忠信については,映画『モンゴル』でチンギス・ハーン役をした実力派俳優,それからCHARAの元旦那,ぐらいの認識しかなく,アメリカ人の血が混じっているということも今回初めて知ったのだが。以下,例によってネタバレ全開なのでご注意。

番組は浅野の祖父Willard Overingの話から始まる。移民の国アメリカは自分のルーツを探ろうとする人が多く,そのためのサイト(FamilySearch.orgAncestry.comなど)もあるので,そこから取材が進められる。実際に,国によるWillardらしき人物の死亡記録を見ることができる。オランダ系アメリカ人のWillardは,農家の実家が干ばつのため苦しく高校に行けず,15歳の時に太平洋戦争勃発,18歳で陸軍に入隊し料理兵となる。

一方,浅野の祖母イチ子は幼少期を満州の大連で過ごし,芸者になる。24歳で満鉄の食堂車給仕長だった男性と結婚するが8年で離婚。ソ連軍の侵攻により故郷の広島に戻る。仕事を求め横浜に行ったイチ子は,1949年に進駐軍として来日していたWillardと知り合い結婚,浅野の母,順子を出産。Willardは1950年に始まった朝鮮戦争のために順子の顔を見ることができずにいたが,ようやく対面する。

このあたりで,スタジオに順子本人が加わる。4歳のころ父とクリスマスツリーの飾り付けをしたことを覚えているという。しかし,ほどなく日本にいた進駐軍の撤退が始まる。「3人でアメリカに行こう」と誘うWillardに対して,言葉が通じない土地で順子を育てられるか不安に駆られるイチ子。渡米手続きをしていたが,直前で「行けない」と伝える。ここで,当時近所に住んでいた人の娘が彼女の当時の不安を伝える。このあたり,相変わらず細かいところまで取材されていることが感じられる。

イチ子はWillard,順子と3人で撮った写真にはさみを入れ,Willardの部分を切り取る。一人で順子を育てる決意の現われだろうというナレーションが入る。浅野は,イチ子はWillardの部分も捨てずにずっとしまってあったことから,アメリカでのWillardの無事も願う思いもあったのではないかと推測する。(このエピソードは番組の最後にもつながってくる。)

Willardは帰国して4年後,2人の連れ子を持つ地元の女性と結婚。軍の食堂でまじめに働き最後には優秀な給仕長として賞をもらう。1度だけ義理の息子に娘の順子のことを話したというが,周りに日本での結婚のことをほとんど明かさないまま1992年に65歳で亡くなる。

一方,イチ子もWillardのことをほとんど話すことなく2004年に死去。ただ,浅野が生まれた時に「目元がおじいちゃんに似ている」と言っていたという。

正直,ここで終わっていれば,これは戦後よく見られたであろう米兵と芸者との儚い恋とその結果生まれてきた子どもの苦しみ,という,平凡な物語になってしまっていただろう。大変な時代に女手一つで順子を育てあげたイチ子の苦労を考えると,帰国後別の女性との幸せな結婚生活を送ったWillardが少し恨めしくも思えてくる。ここまで見てきた私は,祖父が,期待していたほどには妻や娘思いでないと感じたであろう浅野が気の毒に思えてきた。

しかし,このあとのたった1つのエピソードが,この話を非凡なものにしている。死後Willardの持ち物の整理をしていた義理の息子は,Willardが生前肌身離さず持っていた財布を見つけた。その財布の奥には,ただ1枚,ぼろぼろになった順子の写真が入っていたのだ。Willardが最後まで密かに思い続けていたのは,遠く日本にいるであろう唯一血を分けた子供である順子だった,というナレーションが入る。当然,スタジオの浅野と順子の顔を大写しにするカメラと,号泣する親子。浅野は口をわななかせながら,「大きな愛を感じた。祖父は母のことを忘れたことはないと信じていたが,それが証明された」と言う。

実際のところ,5歳の頃までしか見ていない娘を死ぬまで思い続けるということはあるのだろうか。確かに,こんなものは容易に脚色できるエピソードだ。ただ,この話にリアリティを与えているのは,Willardは帰国後血の繋がった子どもを授かることができなかったという点。義理の息子や娘を実の子どもとして育てるのが当たり前のアメリカ社会だが,だからこそ周りに自分の本当の気持ちを明かすことができず,密かに,すぐそばにいる義理の息子たちではなく,自分の実の娘の成長を想像する父の姿,というのは,ありうる話のように思えてくる。

この後に,かなりアルカイックなテレビ的演出が入る。サプライズとしてスタジオに義理の息子2人が登場。泣き崩れる順子に,「ようやくお会いできましたね」と言いながらあの財布を渡す。「あなたが父を失ったことで私たちが父を得たことをすまなく思っている」と言う息子たち。最後の浅野の言葉は,「こんなに充実した日は初めて。不思議な1日だった。」

この浅野のコメントも,私には素直に響いた。著名な俳優として私たちにとっては非日常の世界に生きているであろう浅野だが,それでもこのような自分の家族の赤裸々な過去を目の当たりにするということはそうそうある体験ではないのだろう。ただ,やはり最もプライベートともいえるこういった場面でさえ,何台ものカメラに囲まれてしまう俳優という彼の職業には,少し同情もしてしまう。俳優である以上,カメラを前にすれば,そこには自然と「演技」が生まれてしまうものなのだろうから。それでも,財布を渡された母にそれを知らせているしぐさなど,彼の表情は始終極めて自然だった。

これまでにレビューした機器・CD一覧はこちら
ブログランキング・にほんブログ村へ
AX

日本放送協会 ファミリーヒストリー 感動のNHKドキュメンタリー,待望の書籍化
地雷を踏んだらサヨウナラ 出演:浅野忠信 戦場カメラマン一ノ瀬泰造の生涯
浅野忠信 映画、バンド、家族―。自然光の中で見せる浅野忠信の素顔。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011年08月10日 22時18分44秒
コメント(6) | コメントを書く
[テレビ番組・映画] カテゴリの最新記事


PR

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

日記/記事の投稿

バックナンバー

2024年11月
2024年10月
2024年09月
2024年08月
2024年07月
2024年06月
2024年05月
2024年04月
2024年03月
2024年02月

お気に入りブログ

かにちのいろいろ かにちさん

© Rakuten Group, Inc.
X