京都駅からぶらぶら歩いて京都霊山護国神社には7時半に着きました。
ここには坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓があります。
時代小説、特に幕末をテーマにしたものは今の世相にも通じるものを感じるせいかあれこれ読んでいるので、せっかくなので訪ねてみようかと行ってました。
しかし京都霊山護国神社の開門が8時ということで、30分ばかりそこら辺をさらにうろうろと歩き回って開門を待ってました。
すぐ下には高台寺があって、ここは6年前に見物しました。
高台寺といえば北政所を真っ先に思い浮かべる方が多いと思いますが、新撰組と袂を分かった伊東甲子太郎率いる御陵衛士の屯所になっていたという点では幕末のひとつの舞台になったところでもあります。
ようやく時間になったので300円払って墓所の自動改札(!)を入ります。
左が坂本龍馬、右が中岡慎太郎の墓です。
ちなみに墓碑は木戸孝允(桂小五郎)が揮毫したそうです。
その木戸孝允(桂小五郎)の墓が一番高いところにあります。
誰かがお参りに来るんでしょう、生花が供えてありました。
こちらはおなじみの面々ですね。
右から、高杉晋作、来嶋又兵衛、久坂玄瑞、寺島中三郎、入江九市(九一)、有吉熊次郎。
高杉や久坂の墓は萩の吉田松陰の墓所近くにあるので、そっちが本家(?)でしょうね。
しかし、生花が人気投票みたいに見えてしまうのは不謹慎か・・
ずらりと墓碑が並んでいます。
横には「長州」、裏には「元治元年」とありますから蛤御門の変の戦死者でしょう。
墓所の入り口でどこに誰の墓があるのかの図面つきのパンフレットをもらったんですが、字が小さすぎてまったく読めません。
これは老眼のせいじゃないですよ。
こちらには「大邨君之神霊」と刻まれています。
大村益次郎の墓も生まれ故郷の山口にあります。
京都霊山護国神社は招魂社ですから国家のために殉難した英霊を奉祀しているということです。
なので新撰組とか佐幕派は誰も祀られていません。
龍馬、慎太郎、木戸はここが墓所のようです。
なおも歩いていると目立たぬところに二柱発見。
池田屋騒動のメンバーです。
別々の場所にありますが写真はひとつにくっつけました。
池田屋騒動は古高が新撰組に捕まって苛烈な拷問の末に自白した・・という以外に確たる証拠がないので実態はよく分からないらしい。
龍馬と慎太郎の墓の脇には二人の銅像があって、京都の街を見下ろしています。
ここで来嶋又兵衛とか久坂玄瑞なんていう名前を見つけちゃったので、最終目的地は蛤御門にしました。
・・が、一時間ほど山の斜面の墓地を歩き回ったのですでに疲れてきてます。
11時半には京阪の出町柳駅に到達しないと大阪での待ち合わせに間に合わないので若干の不安を抱えつつ木屋町方面に向かいました。
(例によって、「つづく」)