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カテゴリ:自己啓発
少く(わかく)して学べば、則ち(すなわち)壮にして為すこと有り。 壮にして学べば、則ち(すなわち)老いて衰えず。 老にして学べば、則ち(すなわち)死して朽ちず。 何年か前に、小泉首相が取り上げたことで有名になった言葉ですが、 佐藤一斎という徳川時代の儒者の残した「言志四録」という書物の中の一節で、 要は、生涯学び続けることの大切さを説いた言葉である。 人は、歳をおうに連れて、勉強をしなくなる。 だんだんと自分の持つ固定観念の中で、自らの世界観を持ってしまう。 自分を無知な存在として、謙虚に学ぼうという向上心が薄れてくる。 現実は自らの日常生活に追われ、それどころではないという人が大多数である。 一方で、自己啓発書や宗教などに溺れ、頭でっかちになり、大人物気どりのバカもいる。 どちらかと言うと、私なんぞはこちらの”勘違いバカ”の部類に入るのだが、こちらも 低レベルで、どちらかと言うと逆に口だけ達者でやっかいな存在かもしれない。(苦笑!) こうして見ると、やはり、謙虚な学びと現実社会の中で真剣に生きるバランスを持った人が、 誰からも信頼を得ることのできる 「人物」 であることは一目瞭然である。 日本に生まれ、これほど豊かな時代に育ち、なぜそんなに悩み苦しむ必要があるのか? そこには常に他との比較の中で、”自分を卑しめる自分”が存在するのではないだろうか? 自分の生き様を貫くだけの強い心。 今の学校教育、社会生活の中には、こうした人間を学ぶという分野が無い。 今日、様々な自己啓発に関する本が販売されるようになり、良く売れているということは それだけ学びを求めている人が増えたと言うことなのか? それとも、ただがむしゃらだけでは生きていけないこの時代に、 生き方の質というものを求める人が増えてきたと言うことであろうか? いずれにせよ、時代は「物質中心」から「精神中心」に確実に移り始めている。 「モノの時代」から「心の時代」に変わったと言える。 こういう時代だからこそ、「言志四録」のような、生き方の真理を説いた書物に スポットライトがあたるのかもしれない。 「人間学」とよく言われるが、要は「自分を作る」ために「いかに生きるか」 ということを学ぶ学問であり、それは、先人たちの歩んできた道を知ることであり、 優れた人物の生き様から学ぶということである。 今世の中は、大資本を持った企業のみが”勝ち組”と評されているが、 リストラ、自動化、派遣社員の多用等により、「人を育てる」ということが失われている。 多くの企業はそれに気づきつつも、業績向上のために、まだまだ転換できずにいる。 このままでは、手遅れになる。 人を育てることをやめ、教育にお金をかけることをやめ、 このままでは必ずや日本という国は滅び行くであろう。 その時にあわてなくてもよい自分を作ることが、今各々に必要な時代であると思う。 あせらず、あきらめず、こつこつと自分を作ってきた人が、 最後には多くの人を救える存在として生き残るのだと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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