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カテゴリ:家族
父が亡くなって、もう6回目の月命日が過ぎた。 月日が経つのは本当に早いものだとつくづく感じる。 仏壇の前に正座し、父の遺影を見つめるたびに、ゴメンなぁという気持ちが込み上げてくる。 もっと何かしてあげたかった、 元気な孫の姿をもっと見せてあげたかった、 もっともっと楽しい思い出を作ればよかった.....。 失ってみて、人は初めて、その大切さを知る。 言葉では分かっているけれど、 いつかそのうち、という言い訳ばかりで、時間ばかりが過ぎていく。 人のことばかり考えて、自分以外の者のことばかりに自分の時間を費やしてきた父。 亡くして改めて、その大きな存在に想いを寄せ、 「ありがとう。」と、心の中で一人つぶやく。 何よりも家族を大切にし、子どもを大切にしてくれた。 親というものは、そういうものなのかも知れない。 私自身、家族を持ち、子どもを育てていく中で、自分自身の中で、何かが変わっていった。 わがまま、自己中心、自分本位。 両親の愛情に甘え、そんな生き方をずっとしてきた自分の中で、 子どもの存在は、僕を変えた大きな理由の一つであった。 それは、自分の弱さなのか?それとも、強さなのか? そんなことを問われても、自分では分からない。 ただ、愛おしいと思えるその存在が、僕の中の価値観を大きく変えていったように思う。 しかし、この度の父の死で、もっと何かが変わったように思う。 それは、「死」、というものを、自分のことのように身近に感じるようになったことかもしれない。 いつまで、この子たちと一緒に居られるのだろう? もし、明日僕が死んでしまうとしたら、今、何をしてあげればいいのだろう? もし、僕が居なくなっても、子どもたちが人生の道を外さない生き方ができるような、 そんな愛を残してあげることができるだろうか? 僕が居なくなったときに、どんなことを残しておけば、 子どもたちは心豊かに、そして強く生きていくことができるのだろうか? そして、僕自身、その別れが寂しくないくらいの、楽しくて、そして温かい時間を 共に過ごすことができたのだろうか? そんな想いが度々脳裏をよぎるようになりました。 これって、病気でしょうか? 何かウツのような症状なのでしょうか? お酒の飲みすぎで、ついに頭にきてしまいましたかね? 決して、今現在、辛い気持ちで、思い悩んでいるわけではありません。 むしろ、こんなに幸せでいいのかというくらい、家族との、子どもたちとの日々は満足で 幸せに満ち足りた日々であります。 この幸せは、父が、そして母が、僕に残してくれたもの、 そして、それを子どもたちに残すことが、これからの僕の役目。 ありがとう、お父さん。 ありがとう、お母さん。 そして、愛する妻へ、愛する子どもたちへ。 ありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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