利他の心
多くの場合、人は「自己チュー」な考え方で生きています。自分さえ良ければそれで良い。世のため人のため...。どんなに格好の良いことを言っても、自分以外の他のものの為に、100%自分を犠牲にするような人は、めったにお目にかかれない。家族がいれば、家族のため、子供のため、それも結局は自分のためである。「利他心」という言葉がある。自分を犠牲にしても、他人の利益や幸福を重んじる心とあります。その反対は「利己心」である。「自己チュー」と同じ意味です。世のため人のために尽くすことは、人間の生き方として最高の行為だと思う。だた、先ほども言ったように、100%は”普通では”ありえないと思う。それを、声高にPRする会社や、慈善家がよくあるが、どちらかというとウソに見えてしょうがない。かと言って、「自己チュー」な生き方は、最悪である。ある会社は、会社の理念に、「世のため、人のため、ちょっとだけ自分のため」としている。全く正直で共感できて良いと思う。結局は、自分の中にある「利他の心」と「利己の心」の比率がどうあるかということであり、人格とは心のバランスだと思います。利他の心で生きようと、誠実に努力している姿に人は共感するするであろうし、無理をして自分の枠を超えてまで努めても、逆に偽善者のように思われて悲しい思いをするだけである。人が迷いや不安を感じたりしている時って、大抵の場合「自己チュー」な考えで頭の中が一杯になっています。私なんか、その最たるもので、最悪の自己チュー男です。お恥ずかしい...。ちょっとしたことでいっぱいいっぱいになってしまい、自分を見失ってしまいます。ハッと、我に返った時には、時既に遅しです。(反省!)こんな時ほど、奉仕活動をしてみると心が晴れます。道端のゴミを拾うのも良し、トイレの掃除をするのも良し、家族や誰か他の方のお手伝いをするのも良し。掃除は変化がすぐに見て分かるので、最も効果的だと思います。自分以外の誰か、何かのために、体を動かすって、とても気持ちが良いものです。ある意味、ストレス解消に成るかも知れません。誰かに見てもらおうとか、認めてもらおうとか思う必要もありません。そっと黙って、するところに、”自己満足の快感”があるんです。(笑!)コツコツと人知れず徳を積む。そんなカッコいい生き方がしたいものです。